戦闘報告など
Battle Report

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
1989年に海軍歴史センターが纏めた報告「Operational Experience of Fast Battleships; World War II, Korea, Vietnam」および、月刊「丸」1993年2月号から1995年5月号に連載した「戦場別/アメリカ高速戦艦ウォー・ヒストリー」より

↑Map of Vietnam and adjacent areas. Image courtesy of HyperWar.

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦砲射撃
1968年9月30日
戦闘報告
1968年9月30日に非武装地帯周辺の四目標に29発の16インチ砲弾を撃ち込んだ。強化された貯蔵施設は破壊され、ここに向かう道路が2ヶ所で切断、300mに及ぶ塹壕が吹き飛んだ。海兵隊のTA-4観測班を脅かしていた自動火器の陣地は沈黙させられ、火砲陣地1ヶ所が完全に破壊された他、5ヶ所の強化された掩蓋豪をもつ貯蔵施設が破壊された
10月1日、戦艦ニュー・ジャージー New Jersey(BB-62)はタイガー島 Tiger Islandの北に位置し、非武装地帯の北7〜12マイルの目標を砲撃。また同艦は午後には南下し緩衝地帯の砲撃にあたった。海兵隊のTA-4F観測機(Bu.No. 153523、MAG-11所属機)が午後の砲撃の際、地上砲火により被弾。同機からの報告によれば、燃料が急速に失われ着水せねばならないとのことであった。そこでニュー・ジャージーの観測手マクドナルド・シャランド Chief Radarman Macdonald Shandによって同艦の方位を通報し、観測機の搭乗員は無事に機外に射出され、救出された。シャランド観測員に対しては海軍有功賞 Navy Achievement Medalの叙勲が申請された。この日、16インチ砲によって掩蓋豪6ヶ所、補給トラック1台、対空陣地1ヶ所が破壊された
10月14日の午後、攻撃航空母艦アメリカ America(CVA-66)から飛来した観測機の誘導の下で、ホン・マット島 Hon Matt Islandの沿岸砲台に対してニュー・ジャージーは30分間にわたって砲撃を行った。観測機は二次爆発の発生を認め、1ヶ所の砲台が跡形もなく消え失せた。爆発煙が収まった時、観測手から報告があった。“目標の島の大部分を吹き飛ばした。海中に没している!”
第2作戦地域をあとにしたニュー・ジャージーに対して、キン・モン Kinh Monの戦闘で捕獲した中国製機関銃が贈られた。これは10月23日〜27日にかけて生起した戦闘の直前、ニュー・ジャージーの準備射撃に感謝したもので、第61歩兵連隊第1大隊 First Battalion, 61st Infantry and First Brigade, 5th Infantryを代表して贈られたものであった。この地域は長い間、共産軍の陣地が構築されており、陸軍部隊はここを2度にわたって掃討した。第一次攻撃は米軍が30名の損害を出したのに対し、敵は60名の戦死者を出した。第二次攻撃は、B-52の爆撃のあとに行われ米軍に61名の戦死者を出したのに対し、敵の損害は全くなかった。そしてニュー・ジャージーが投入され、第三次攻撃のための準備射撃が行われた。その結果、米軍は7名の戦死者を出したのに対し、敵は301名の確実な戦死者を出したのであった。その日、2回の主砲射撃と、2回の副砲射撃における損害評価にあたって12名の戦死者が確認。観測機によって移動中の共産軍部隊が発見され、ニュー・ジャージーはただちに16インチ砲弾に、機械式時限信管を装着して砲撃を行った。観測機からの報告によれば、砲弾は最適高度である約75フィートの高度で炸裂し、塹壕に隠れた敵部隊を直接、叩く結果となった
ロバート・ガウティア参謀軍曹 Staff Sergeant Robert Gauthierは、ニュー・ジャージーのTVシステムのインタビューに応え、海兵隊員が抱いている艦上について次のように述べた
“戦艦ニュー・ジャージーの存在は海岸に上陸している海兵隊にとって、何にもまして心強い存在です。パトロールに出る時、いつも、あの巨艦が背後にひかえていてくれると感じています。戦艦ニュー・ジャージーは、ここで生命-アメリカ人の生命-を救っています。ここに貴艦に感謝の意を表します”
そして彼は第3海兵師団 Third Marine Divisionの支援射撃にあたった、ニュー・ジャージーの砲撃ぶりについて次のように語った
“私たちは約200ヤードを後退するよう命令を受けました。その時、誰だったかは知りませんが、共産軍の掩蓋陣地に向けて射撃を開始することができました。私たちがほぼ500ヤード後退した時、私たちはトンネルの中を轟音を上げて走る地下鉄のような音を耳にしました。ものすごい轟音でした。そして、凄まじい爆発音。のちにその地域に戻ってみた時、まったく何も残っていませんでした。大きな黒板消しでさっとなで、あたりにあるものをすっかり消し去ったような感じでした。そこにあったものは大きな、非常に強化された掩蓋陣地で、わが軍の火砲ですら叩けなかった存在でした”


Update 24/04/15