EZ
軟式飛行船

※ZPGは1962年にEZと名称が変更される
※1960年代初頭に米海軍の飛行船計画が消滅したのち、米海軍はこの能力を復活させようとさまざまな試みを行った。そのような試みの一つがYEZ-2Aプログラムであった。一連の実現可能性調査ののち、1985年に米海軍は、低空飛行する爆撃機や任務群に対するシー・スキミング・ミサイル攻撃を早期に警告するための新しいAEW飛行船の提案を出すことを決定した。このプログラムには3つの候補があり、グッドイヤー GoodyearはZPG3-Wの近代化派生型、ボーイング/レン・スカイシップス Boeing/Wren Skyships(詳細は不明)、ウェスチングハウス/エアシップ・インターナショナル Westinghouse/Airship International(WAI)のセンチネル5000 Sentinel 5000を提案した。1987年、WAIの提案は、サブスケールのセンチネル1000という形でさらなる開発のために選ばれた。実証機が成功すれば、40〜50機のセンチネル5000飛行船が発注される予定だった。民間用のスカイシップ5000も計画された。資金は1989年に大幅に削減されたが、センチネル1000の建造を完了するための資金は提供された。センチネル1000は1991年に初飛行し、試験飛行が開始された。テストは1995年まで続けられ、プロトタイプは格納庫の火災で焼失した。センチネル5000は、当時建造された軟式飛行船 non-rigid airshipsの中で最大のクラスとなるはずだった。航続日数は2〜3日で、給油/補給により30日間に延長される予定だった。乗員は3デッキのゴンドラに収容される予定だった。一番下のデッキは飛行甲板で、その上にAEWレーダーのコンソールがある作戦甲板があった。ゴンドラの最上階は乗員専用の施設となり、かなりの広さになるはずだった。乗員用のダブル・キャビン、シャワー、完全な調理室、小さなジムまである。ゴンドラを覆い、飛行船の外郭内にAEWレーダーが設置される予定だった。そのほかの特徴としては、赤外線シグネチャーを低減するための内部搭載エンジン、ECM対策複合材構造、フライバイライト制御システム fly-by-light control systemなどがあった

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 24/03/12