深海潜水艇
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 水中排水量:50t(燃料なし)、150t(燃料あり) 全長:18.16m 最大幅:3.53m 吃水:5.48m 主機/軸数:電動機(60kWhバッテリー) 出力:4馬力 速力:1.0kt 安全潜行深度:11,000m 生存能力:24時間 乗員:2名(操縦士1名、科学者1名)
- ※トリエステは、スイスの物理学者で気球飛行士のオーギュスト・ピカール Auguste Piccardが1937年に研究したコンセプトを発展させた研究用バチスカーフ bathyscapheである。第二次大戦により、ピカールはベルギーで深海調査用潜水艇バチスカーフの研究を突然打ち切られ、1945年まで再開することはなかった。そののち、ピカールはフランス政府とともに深海調査船の開発に取り組み、1952年にイタリアのトリエステ Triesteに招かれ、新しい深海調査船の建造を開始した。スイス、ドイツ、イタリアから科学機器や航海用具が送られてきた。ナポリ湾の南岸、ナポリ近郊の民間造船所ナヴァルメッカニカ Navalmeccanicaで、トリエステはその姿を現した。1953年8月、バチスカーフは初めて水中に投入された。1953年8月11日、ピカール教授と息子のジャック Jacquesは、水深5ファザム five fathomsで試運転を行った。1953年から1956年にかけて、トリエステは地中海で多くのダイヴィングを実施した。1955年、アメリカ海軍の海軍研究局(Office of Naval Research: ONR)のロバート・ディーツ博士 Dr. Robert Dietzがロンドンでピカール教授と会い、このプロジェクトについて話し合った。その際、ピカールはディーツをイタリアに招き、バチスカーフを見学させた。翌年、ディーツはピカールをアメリカに招き、バチスカーフがアメリカの潜水艇になるための将来的な話をした。翌1957年の夏、アメリカの海洋学者と水中音響の専門家のグループがイタリアのカステラマーレ Castellamareを訪れ、トリエステのテストと調査を行った。彼らは最終的に、この潜水艇をアメリカ政府が取得するよう勧告した。マリアナ諸島沖の世界最深部チャレンジャー海淵 Challenger Deepを調査する“ネクトン計画 Project Nekton”に参加するには、この潜水艇が最適と考えたのだ
↑Trieste interior in 1963. US Navy Photo. Image courtesy of USNI news.
艦名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
トリエステ (1、2) |
Trieste | Navelmeccanica | ◎1953/8 初めて水上に置かれる ◎1958秋 サン・ディエゴに運ばれる ◎その年の12月から、サン・ディエゴ沖で何度か潜航した。ドイツのクルップ鉄工所によって製作された、より強固な球体を装着したトリエステは、“ネクトン計画”のためにグアムへと運ばれた ◎1960年1月23日、海軍のドン・ウォルシュ大尉 Lt. Don Walshと、海軍にバチスカーフの操作とメンテナンスを指導するためにアメリカに渡った教授の息子ジャック・ピカールが、チャレンジャー海淵の底まで7マイルを潜ったとき、トリエステは補助航洋曳船ワンダンク Wandank(ATA-204)を支援船として、“ネクトン計画”への参加のクライマックスを飾った。世界記録の降下時間は9時間であった ◎1960 サン・ディエゴにてオーヴァーホール(〜1962) ◎“ネクトン計画”によって、バチスカーフはサン・ディエゴ周辺で多くのダイヴィングを行った。1962年11月、再び修理が開始された。このころ、新しいバチスカーフ・フロートが図面に描かれ、1963年の初めに建設が始まった。トリエステの改装が順調に進んでいたころ、マサチューセッツ州沿岸で原子力攻撃型潜水艦スレッシャー Thresher(SSN-593)が沈没した。トリエステは国を越えてボストンに運ばれ、すぐに失われた潜水艦の捜索に参加することになった。修理のためボストン海軍工廠に戻る前に、5回の潜水を行った。そののち、トリエステはさらに5回の潜航を行った。8月には、この一連の作業の中で、“593”の数字がはっきりと残っている潜水艦のセイルを含む、スレッシャーの残骸を発見。このころ、当時“10歳”だったバチスカーフに老朽化の兆しが見え始めていた。そのため、トリエステは捜索任務を終えてサン・ディエゴに戻され、そこでお役御免となった。しかし、捜索に貢献したバチスカーフとその指揮官であるドナルド A. リーチ中佐 Comdr. Donald A. Reachは、海軍部隊表彰 Navy Unit Commendationを受けたのである 1980初め ワシントン海軍工廠のNavy Memorial Museumにて展示(1、2) ◎2023/11/12 ドン・ウォルシュ退役海軍大佐は、深海潜水艦の士官、海洋学者、そして地球上で最初に深海に潜った探検家の一人であり、日曜日に亡くなったことをUSNI Newsが確認した。92歳だった |
- 水上排水量:88t 水中排水量:305t 全長:23.77m 最大幅:4.57m 吃水:6.40m 航続力:水中2.0ktで12時間 安全潜行深度:6,300m(6,096mという資料もあり) 乗員:3名(支援要員は士官3名、下士官兵20名)
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
トリエステII世 | Trieste II | DSV-1 | メア・アイランド海軍造船所 | ◎このユニークな船は、1969年秋まで海軍の目録に“装備品 equipment”としてのみ記載されていた ◎1964初め 竣工 ◎1964秋? カリフォルニア州サン・ディエゴにて近代化改装(〜1965/4) ◎1969/9/1 運用開始、装備品から艦船となり、艦種記号を潜水艇(X-2)に改められる ◎1971/6/1 艦種を深海潜水艇(DSV-1)に改める 1984 運用終了、ワシントン州キーポートのNaval Undersea Museumにて展示 |
- 排水量:16t(DSV-3は21t、DSV-4は29t) 全長:6.85m(DSV-3は7.92m、DSV-4は9.39m) 最大幅:3.65m 主機/軸数:電気モーター/3軸(前方に1つのプロペラ、操縦の為に2つの回転物) 速力:2.0kt(DSV-3は2.5kt) 航続力:水中2.0ktで72時間 安全潜行深度:4,000m(DSV-3は3,048m、DSV-4は6,096m) 乗員:1名+2名の科学者(DSV-4は2名+1名の科学者)
- ※構造はHY-100鋼(DSV-4はメア・アイランドにて製造されたチタン製)。金属製の乗員用球体、バッテリー、電気モーターの上にグラスファイバー製の船体を構築
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アルヴィン | Alvin | DSV-2 | General Mills, Inc. | ◎1964/6/5 進水 ◎1965 竣工 1966/3/17 パロマレス米軍機墜落事故にて海底に落下したB28RI核爆弾1個を海軍による長い探索でアルヴィンが発見 1968/10/16 輸送中に沈没、乗員は脱出 ◎1969/9 引き揚げられる。引き揚げ作業はReynolds Metals CompanyのAluminautが行った。のちに大規模な改装 ◎1973 耐圧殻をチタン製に換装し、潜行深度が4,500mに向上 1977 国立海洋大気局(NOAA)の後援でロバート・バラード Robert Ballardが主導する調査でアルヴィンはガラパゴス諸島周辺の海域でブラックス・モーカーの存在を発見し、記録 ◎1986 イギリスの郵便汽船Titanicの潜水調査を行った (↑White Star Lineのオリンピック級郵便汽船タイタニック) 1988/3/22 総潜水回数は2,000回となる ◎2014年初め メキシコ湾にてアルヴィンの広範囲にわたる試験が実施。新型のカメラ、照明、大型化されたチタン製耐圧殻を備えた新しいアルヴィンは3年半の月日をかけて改装 総潜水回数は4,400回を超えており、2,000本以上の論文がその潜水をもとに執筆されている |
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タートル | Turtle | DSV-3 | エレクトリック・ボート社 | 1998/4/15 | ◎最初の予定艦名はオーテックII世 Autec IIだった(1968/12/3改名) ◎1968/12/11 進水 ◎1970/6 運用開始 ◎1971/6/1 艦種記号DSV-3を与えられる 1980 映画会社20世紀フォックスの映画「レイズ・ザ・タイタニック Raise the Titanic」撮影用に用いられる ◎1997/10/1 運用終了 除籍後、MysticのMystic Aquariumにて展示 |
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◎Submarine Development Group 1 in San Diego, California. | |||||||
シー・クリフ | Sea Cliff | DSV-4 | エレクトリック・ボート社 | ◎最初の予定艦名はオーテックI世 Autec Iだった(1968/12/3改名) ◎1968/12/11 進水 ◎1969 竣工 ◎1970/9/25 運用開始 ◎1984 6,096mまで潜れるように再設計され、改装 1985 グアテマラの太平洋岸で6,096mを潜水し、この船型の記録を達成した ◎ロサンゼルス発シドニー行きユナイテッド航空811便(途中ホノルルとオークランドに立ち寄り)の貨物ドア組み立て済み内装。1989年2月24日、このフライトを運航していたボーイング747-122型機は、ホノルルを出発した直後、高度22,000フィートで飛行中に貨物ドアの故障に見舞われた。その結果、爆発的な減圧により数列の座席が吹き飛び、乗客9名が死亡した。同機はホノルルに戻り、それ以上の事故はなく着陸した。シー・クリフは深度14,000フィートでドアを回収した ◎1942年に沈没した日本海軍戦艦霧島は、1992年にガダルカナル海戦の沈没船を地図化するための探検中にロバート・バラード Robert Ballardによって発見された。艦は逆さまに横たわり、弾倉の爆発で艦橋から前方の艦首部分がなくなっている。アンカー・チェーンは船尾部分に巻き付けられている。バラードによる沈没船の調査は、残念ながら技術的な緊急事態のために中止され、その結果、潜水はわずか9分ほどで終わった。そのため、得られる情報や画像は著しく制限された ◎1998/4/1 運用終了 ◎1998/6/30 ウッズホール海洋研究所(Woods Hole Oceanographic Institution: WHOI)に移管(1、2) 1998年の「ニューヨーク・タイムズ The New York Times」紙の記事は、DSV-4がアルヴィンをアップグレードするために共食いされることを示唆していたが、アメリカ海軍の海軍艦艇登録簿 US Navy Vessel RegistryはDSV-4が現役の船舶であることを示し、2005年の写真はDSV-4が人員圧力球とともにまだ無傷であることを示し、WHOIはアルヴィンの公式な歴史の中で、この期間中にDSV-4の部品を使用することについて言及していない(1、2) ◎2023年9月現在、WHOIはDSV-4を水中航行体の1つとして挙げていない ◎2019年現在、海軍艦艇登録簿によれば、DSV-4は2002年9月30日にウッズホールの管理下で米海軍の現役に復帰した |
- 重量:0.20t 全長:2.79m 最大幅:1.98m 通常運用:8時間、緊急運用:24時間 安全潜行深度:182.88m(最も深く潜ったのは187.14m) 乗員:2名(パイロット1名、オブザーヴァー1名)
- ※NEMOはNaval Experimental Manned Observationの略。構造はグレードGプレキシグラス(厚さ63.5mm)
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ネモ | NEMO | DSV-5 | Naval Civil Engineering Laboratory (NCEL), Pacific Missile Range & Naval Air Station Point Mugu | 1986 | ◎1970/5/12 NCELとSouthwest Research Instituteの共同指導のもと、グランド・バハマ島 Grand Bahamas
Islandで試験・評価を開始。カリフォルニア・チャネル諸島 California Channel Islandsにてさらにダイヴを実施 ◎除籍後、NEMOを他の政府機関(おそらくCIA)に移管したと発表 2011 カリフォルニア州Port HuenemeのSeabee Museumにて展示 |
Update 24/01/09