| 日付 |
主な出来事 |
| 1937/7 |
飛行隊は1937年7月1日、クアンティコ海兵隊基地 Marine Corps Base QuanticoでVMO-1として就役した。1941年7月1日、第151海兵観測飛行隊(Marine Observation Squadron 151: VMO-151)に改称された。飛行隊は1941年12月、第1海兵航空団 1st Marine Aircraft Wingの残りの部隊とともにカリフォルニア州サン・ディエゴに向けて出発したが、1942年1月にクアンティコ海兵隊基地に戻った。1月から4月にかけて、同飛行隊は1942年4月9日にアメリカ領サモアのタフナ飛行場 Tafuna Airfieldに向けて出発するまで、ノーフォーク海軍基地 NS Norfolkで訓練を行った。1か月後に到着し、そののち13か月間そこに留まった。1942年9月15日、飛行隊はふたたび改称され、今度は第151海兵偵察爆撃飛行隊(Marine Scout Bombing Squadron 151: VMSB-151)となった |
| 1943/6 |
1943年6月10日、飛行隊はウォリス諸島 Wallis Groupのウヴェア島 Uvea Islandに移動した。1944年2月29日にエンゲビ
Engebiに到着するまで、同島に留まった。3月9日から12日にかけて、飛行隊はウォソ環礁 Wotho Atoll、ウジャエ環礁 Ujae Atoll、ラエ環礁
Lae Atollへの海兵隊の上陸を支援した。この間、1945年5月31日まで、マーシャル諸島の日本軍基地を迂回して爆撃を行った。1945年6月9日、飛行隊は米国に帰還した |
| 1988/6 |
モハーヴェ海兵隊航空基地 MCAS Mojaveに帰還後、第51海兵航空支援群 Marine Air Support Group 51に配属され、1945年6月30日に第151海兵雷撃爆撃飛行隊(Marine
Torpedo Bombing Squadron 151: VMTB-151)に改称された。1946年3月20日にカリフォルニア州サンタ・バーバラ海兵隊航空基地
MCAS Santa Barbaraで閉隊した |