VMGR
海兵空中給油輸送飛行隊 Marine Aerial Refueler Transport Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NAWSは海軍航空兵器基地(Naval Air Weapons Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第252海兵空中給油輸送飛行隊(Marine Aerial Refueler Transport Squadron 252: VMGR-252)は、アメリカ海兵隊のKC-130J飛行隊である。第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の第14海兵航空群(Marine Aircraft Group 14: MAG-14)に属し、人員、装備、物資の輸送に加えて、艦隊海兵隊 Fleet Marine Forceの航空作戦を支援するために固定翼と回転翼の両方の空中給油能力を提供する。“オーティス Otis”の名で知られるこの飛行隊は、ノースカロライナ州のチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointに駐留している。この飛行隊はまた、海兵隊で最も古くから活動し続けている飛行隊という特徴を持っている。遠征、統合、または合同作戦中、昼夜を問わず、全天候下で空対空給油、突撃支援、近接航空支援(Close Air Support: CAS)、マルチセンサー画像偵察(Multi-sensor Imagery Reconnaissance: MIR)を提供し、海兵空地任務部隊(Marine Air-Ground Task Force: MAGTF)司令官を支援する

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
San Diego 1928/6
MCAS Cherry Point
MCAS Miramar 1946/7
MCAS Cherry Point
航空機の割り当て 初受領日
R4D
R4Q
KC-130F/R 1961/10
KC-130J 2002/12
日付 主な出来事
1928/6 飛行隊は1928年6月1日に編成され、カリフォルニア州サン・ディエゴの司令部第7M分遣隊 Headquarters Detachment 7Mに指定された。飛行隊はそののち10年間に何度か改称された。1941年7月1日には第252海兵汎用飛行隊 Marine Utility Squadron 252: VMJ-252)、1945年4月1日には第252海兵輸送飛行隊(Marine Transport Squadron 252: VMR-252)となった
第二次大戦中、飛行隊は以下の作戦に参加した:真珠湾、マリアナ諸島、硫黄島、沖縄。戦争後、飛行隊はチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointに移転し、第21海兵航空群(Marine Aircraft Group 21: MAG-21)に再配置された
1946/7 1946年7月、VMR-252は第25海兵航空群(Marine Aircraft Group 25: MAG-25)の一部としてミラマー海兵航空基地 MCAS Miramarに拠点を置いた。1961年10月、KC-130ハーキュリーズが飛行隊の航空機となった。KC-130の導入により、飛行隊の主要任務は空中給油に変更された。1962年2月1日、飛行隊は現在の名称である第252海兵空中給油輸送飛行隊(Marine Aerial Refueler Transport Squadron 252: VMGR-252)となった。1965年12月、KC-130はCH-3ヘリコプターへの給油に使用された。ヘリコプターへの給油にタンカー・ドローグ・システム tanker drogue systemが使用されたのはこれが初めてであった
1960年代 60年代後半から70年代前半にかけて、VMGR-252はヴェトナム共和国の米軍を積極的に支援し、必要不可欠な装備品、部品、人員を輸送した。VMGR-252はAV-8Aハリアーの導入も支援した。1973年8月、VMGR-252はハリアーで使用される安全で標準化された空中給油手順の開発に関与した
1988/12 1988年12月、VMGR-252は無事故飛行時間300,000時間を突破し、海兵隊と海軍のどの飛行隊よりも無事故飛行時間が長いという栄誉に輝いた
1990年代 90年代の10年間は、VMGR-252が近隣のリベリアでの内乱の後、第22海兵遠征ユニット 22nd Marine Expeditionary Unitの活動を支援するためにシエラ・レオネのフリータウン Freetownに航空機を派遣したことから本格的に始まった。1990年5月、海兵隊KC-130の初の暗視ゴーグル着陸が達成された
1990 ダウン・タイムがほとんどなかった飛行隊は、“砂漠の盾作戦r Operation Desert Shield”への動員というさらに大きな課題に直面することになった。6機の飛行隊航空機がVMGR-252分遣隊アルファ VMGR-252 Detachment Alphaを編成するために配備された。“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”が1991年1月16日に開始されると、分遣隊は戦闘作戦に移行し、937回の戦闘出撃の間に10,000,000ポンド以上の燃料を攻撃機に供給した
1990年代の残りの期間、飛行隊はケニア、ルワンダ、コンゴ共和国、アルバニア、リベリア、シエラ・レオネ、コソヴォでの作戦のために東海岸の海兵遠征ユニットを支援し続けた。また、“ノーザン・ウォッチ作戦 Operation Northern Watch”と“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”の支援も継続した
2001/9 2001年9月11日の同時多発テロののち、VMGR-252はアフガニスタンでの“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”で後方支援と突撃支援活動の基幹を形成し、2003年春のイラクでの“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”では第26海兵遠征ユニット 26th Marine Expeditionary Unitに同様の支援を提供した。2003年以来、飛行隊の約30%が“イラクの自由作戦”を支援するために継続的に派遣されている
2002/12 2002年12月、VMGR-252は3機のKC-130Jを装備した
2024/6 C-130シリーズが累計納入2,700機を達成した。2,700機目にあたったのは、VMGR-252向けのKC-130J(Bu.No. 170282)

↑KC-130J of VMGR-252 in flight. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 24/06/23