日付 |
主な出来事 |
1928/6 |
飛行隊は1928年6月1日に編成され、カリフォルニア州サン・ディエゴの司令部第7M分遣隊 Headquarters Detachment 7Mに指定された。飛行隊はそののち10年間に何度か改称された。1941年7月1日には第252海兵汎用飛行隊 Marine Utility Squadron 252: VMJ-252)、1945年4月1日には第252海兵輸送飛行隊(Marine Transport Squadron 252: VMR-252)となった |
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第二次大戦中、飛行隊は以下の作戦に参加した:真珠湾、マリアナ諸島、硫黄島、沖縄。戦争後、飛行隊はチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry
Pointに移転し、第21海兵航空群(Marine Aircraft Group 21: MAG-21)に再配置された |
1946/7 |
1946年7月、VMR-252は第25海兵航空群(Marine Aircraft Group 25: MAG-25)の一部としてミラマー海兵航空基地 MCAS Miramarに拠点を置いた。1961年10月、KC-130ハーキュリーズが飛行隊の航空機となった。KC-130の導入により、飛行隊の主要任務は空中給油に変更された。1962年2月1日、飛行隊は現在の名称である第252海兵空中給油輸送飛行隊(Marine
Aerial Refueler Transport Squadron 252: VMGR-252)となった。1965年12月、KC-130はCH-3ヘリコプターへの給油に使用された。ヘリコプターへの給油にタンカー・ドローグ・システム tanker drogue systemが使用されたのはこれが初めてであった |
1960年代 |
60年代後半から70年代前半にかけて、VMGR-252はヴェトナム共和国の米軍を積極的に支援し、必要不可欠な装備品、部品、人員を輸送した。VMGR-252はAV-8Aハリアーの導入も支援した。1973年8月、VMGR-252はハリアーで使用される安全で標準化された空中給油手順の開発に関与した |
1988/12 |
1988年12月、VMGR-252は無事故飛行時間300,000時間を突破し、海兵隊と海軍のどの飛行隊よりも無事故飛行時間が長いという栄誉に輝いた |
1990年代 |
90年代の10年間は、VMGR-252が近隣のリベリアでの内乱の後、第22海兵遠征ユニット 22nd Marine Expeditionary
Unitの活動を支援するためにシエラ・レオネのフリータウン Freetownに航空機を派遣したことから本格的に始まった。1990年5月、海兵隊KC-130の初の暗視ゴーグル着陸が達成された |
1990 |
ダウン・タイムがほとんどなかった飛行隊は、“砂漠の盾作戦r Operation Desert Shield”への動員というさらに大きな課題に直面することになった。6機の飛行隊航空機がVMGR-252分遣隊アルファ
VMGR-252 Detachment Alphaを編成するために配備された。“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”が1991年1月16日に開始されると、分遣隊は戦闘作戦に移行し、937回の戦闘出撃の間に10,000,000ポンド以上の燃料を攻撃機に供給した |
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1990年代の残りの期間、飛行隊はケニア、ルワンダ、コンゴ共和国、アルバニア、リベリア、シエラ・レオネ、コソヴォでの作戦のために東海岸の海兵遠征ユニットを支援し続けた。また、“ノーザン・ウォッチ作戦
Operation Northern Watch”と“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”の支援も継続した |
2001/9 |
2001年9月11日の同時多発テロののち、VMGR-252はアフガニスタンでの“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”で後方支援と突撃支援活動の基幹を形成し、2003年春のイラクでの“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”では第26海兵遠征ユニット 26th Marine Expeditionary Unitに同様の支援を提供した。2003年以来、飛行隊の約30%が“イラクの自由作戦”を支援するために継続的に派遣されている |
2002/12 |
2002年12月、VMGR-252は3機のKC-130Jを装備した |
2024/6 |
C-130シリーズが累計納入2,700機を達成した。2,700機目にあたったのは、VMGR-252向けのKC-130J(Bu.No. 170282) |