VMA
海兵攻撃飛行隊 Marine Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NOTSは海軍航空兵器基地(Naval Ordnance Test Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第133海兵攻撃飛行隊(Marine Attack Squadron 133: VMA-133)は、アメリカ海兵隊の予備役A-4スカイホーク攻撃機飛行隊だった。当初はVMSB-133として知られ、第二次大戦中はブーゲンヴィル島とフィリピンで戦闘に参加した。戦後、同飛行隊は海兵隊予備役に編入された。“ドラゴンズ”としても知られるVMA-133は、第4海兵航空団第42海兵航空群 Marine Aircraft Group 42 of the 4th Marine Aircraft Wingに所属し、カリフォルニア州アラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaを拠点としていた。冷戦終結後の米軍縮小の一環として、1992年に閉隊

↑VMA-133 Insignia. Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS El Toro 1943/5/1
MCAS Ewa 1943/9/9
NAS Oakland 1958/4/15
NAS Alameda 1961/7
航空機の割り当て 初受領日
SBD
TBF
A-4
日付 主な出来事
1943/5 第133海兵偵察爆撃飛行隊(Marine Scout Bombing Squadron 133: VMSB-133)は、1943年5月1日、カリフォルニア州エル・トロ海兵航空基地 MCAS El Toroで就役した。夏季訓練ののち、飛行隊はハワイに向けて出発し、1943年9月9日にエワ海兵航空基地 MCAS Ewaに到着した。エワから飛行隊は2つのグループに分かれ、1つはジョンストン環礁 Johnston Atollへ、もう1つはパルミラ環礁 Palmyra Atollへ向かい、6ヶ月間の対潜哨戒任務に就いた。これらの任務ののち、飛行隊はエワ海兵航空基地に戻り、1944年6月25日にブーゲンヴィル島のトロキナ Torokinaに向けふたたび出発した。1944年10月から11月にかけて、飛行隊はブーゲンヴィル島とニュー・ブリテン島の標的に対する攻撃を実施した
VMSB-133は2ヶ月間の航海を経て、侵攻後のフィリピンのリンガエン湾に到着し、同地域を奪還した。1945年4月21日まで同地に留まり、そののちミンダナオ島へ移動し、島を掃討するアメリカ陸軍第24歩兵連隊と第31歩兵連隊 United States Army's 24th and 31st Infantry Regimentsへの近接航空支援を行った。1945年6月から7月にかけて、同飛行隊は計画されていた侵攻作戦の準備として、サランガニ湾 Sarangani Bay周辺の標的への攻撃を続けた。この飛行隊は1945年8月1日にミンダナオ島マラバン Malabangで閉隊
1958/4 1958年4月15日、飛行隊は海兵隊航空予備隊 Marine Air Reserveの一部として再編成され、カリフォルニア州オークランド海軍航空基地 NAS Oaklandを拠点とした。1961年7月、カリフォルニア州アラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaに移転した。1962年、ダグラスA-4スカイホークへの移行に伴い、最終的に第133海兵攻撃飛行隊 Marine Attack Squadron 133と改称された。飛行隊は第42海兵航空群 Marine Aircraft Group 42および第4海兵航空団 4th Marine Aircraft Wingに所属していたが、冷戦終結後の米軍縮小の一環として、1992年9月30日に閉隊
航空機の損失
1944年5月4日-訓練中、オアフ島から33マイルの地点で2機のSBDF4Uコルセアと衝突した。衝突により、ローリン N. コンウェル Jr. 中尉 1stLt Rollin N. Conwell, Jr.、アンソニー T. マクラフリン軍曹 SSgt Anthony T. McLaughlin、ジョン E. ラプクスキー軍曹 SSgt John E. Rapkuskiが死亡し、ほか2名が負傷した
1945年2月19日-ドナルド M. ジョンソン少尉 2ndLt Donald M. Johnsonとヴィンセント W. ハガリッチ一等兵 PFC Vincent W. Hagalichが、マニラ港上空で日本軍の対空砲火によりSBDが撃墜され死亡した
1945年4月26日-シドニー・カラウェイ Jr. 中尉 1stLt Sidney Kallaway, Jr. とチャールズ A. コラオ二等兵 Pvt Charles A. Corraoは、タグローン Tagloan町付近で急降下から脱出できずに死亡した
1945年5月2日-ウィリアム A. メイヤー中尉 1stLt William A. Mayerとアーサー L. ガバート Jr. 伍長 Cpl Arthur L. Gabhart, Jr. が、イジング近郊でSBDが墜落し死亡した
1945年5月2日-ジェームズ L. ウェア中尉 1stLt James L. Wareとロバート L. ジョンソン軍曹 Sgt Robert L. Johnsonが乗ったSBDがラナオ湖 Lake Lanao近郊の樹木に墜落した。両名は生存
部隊表彰
部隊表彰 unit citationまたは部隊表彰 commendationは、組織が功績を挙げたことを称えるために授与される賞。当該功績を挙げた部隊のメンバーは、授与された部隊表彰を制服に着用することができる。VMA-133は、これまでに以下の賞を受賞している
海軍部隊表彰リボン(ブロンズ・スター1個付き) Navy Unit Commendation Streamer with one Bronze Star 第二次大戦
アジア太平洋戦線リボン(シルヴァー・スター付き) Asiatic-Pacific Campaign Streamer with Silver Star
第二次大戦戦勝リボン World War II Victory Streamer 1941~1945年 太平洋戦争
フィリピン解放勲章リボン Philippine Liberation Medal Streamer 1944~1945年 フィリピン戦線
フィリピン大統領部隊表彰リボン Philippine Presidential Unit Citation Streamer 1944~1945年 フィリピン戦線

↑VMA-133 A-4Fs in flight near NAS Fallon, 1982. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 25/12/13