陸軍輸送船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略
※データは兵員輸送艦アルゴンヌ級の項を参照
1024型貨物船を改装

↑USAT Argonne moored to a buoy, circa 1921, location unknown. US Army Order of Battle 1914-1941 Vol 4. Image courtesy of NavSource.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
カンブレー Cambrai アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1920/11 陸軍輸送科に移管
◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base
◎通常、ニュー・ヨーク~Antwerp間及びニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間を航行
◎1920/12/10 初航海
◎1921/6/6 ニュー・ヨークにて係船(~1921/11/10)
◎のちに陸軍輸送科太平洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)にて運用開始、母港はフォート・メイソンのサン・フランシスコ乗船港
◎1922 サン・フランシスコ~ホノルル間を航行(~1931)
◎1923年9月に日本を襲った大地震ののち、横浜に地震救援物資を輸送
◎1928年11月以降、フォート・メイソンとブルックリン陸軍補給基地の間をほぼ隔週で往復し、パナマ、プエルト・リコ、フィリピンに臨時航海
◎1928 ニカラグアを支援(~1932)
1929 ニカラグアのコリントで暗礁に激突(損傷は軽微であったが、サン・フランシスコへの帰港後、乾ドックでの修理が必要であった)
◎1931/10/27 U.S. Shipping Boardに移管、のちにUnited States Lineに売却されAmerican Travelerと改名
◎1940 ベルギーの業者に売却されVille d'Arlonと改名、ベルギー船籍となる
1940/12/2 ドイツ海軍潜水艦U47(12)の雷撃により沈没(1940年12月2日04時09分、護衛なしのVille d'Arlon(Master Albert Wilding)はU47からのG7e魚雷1本を右舷船尾に受け、Rockall南西約250マイルで搭載貨物とともに急速に沈没した。この船は、HX90船団の71番の位置にいたが、操舵のトラブルではぐれ、Uボートの攻撃を受けて停船し、修理中と思われた。船長、乗員55名、乗客1名(DBS)を失った)
セント・ミヘル St. Mihiel アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1920/10/29 陸軍輸送科に移管
◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base
◎1920 ニュー・ヨーク乗船港~Antwerp間を航行(~1923)
◎1923 ニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間を航行(~1923)
1922 大西洋航路で効率性(Efficiency: "E")ペナントを受賞
◎1923/1 Antwerp~ニュー・ヨーク間を航行(在独米軍最後の部隊を運ぶ)
◎1926/7 フィラデルフィア~Fort Monroe間を航行(第213沿岸砲兵隊 213th Coast Artilleryを運ぶ、毎年恒例の夏季訓練に参加)
◎1928/9 ハリケーン救援活動に参加し、食糧やそのほかの物資をサン・ファンに運ぶ
◎のちに陸軍輸送科太平洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)にて運用開始、母港はフォート・メイソンのサン・フランシスコ乗船港
◎1931 サン・フランシスコ~ホノルル~パナマ~ニュー・ヨーク間を航行(~1932)
◎1932/1 第30歩兵隊 30th Infantryをハワイに派遣し、ハワイ準州の水陸両用演習と作戦に参加(~1932/2)
◎1932/11/16 フォート・メイソンにて運用終了、係船
◎1935/4 運用開始、恐慌のために救援に来ていた287名の中西部の農民とその家族をアラスカでの新生活のために運ぶ
◎1939/7/28 ブルックリンにて運用終了、係船、乗員は陸軍輸送船レナード・ウッド Leonard Woodに転属
◎1939/9/15 運用開始
◎1940/4 サン・フランシスコ~アラスカ間を航行(Yaktat、Sitka、ダッチ・ハーバー、Unimak、ホノルル、シアトルに寄港する事もあった)
◎1941/7/22 海軍に移管
アルゴンヌ
12
Argonne アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1921初め 陸軍輸送科に移管、アルゴンヌ Argonneと改名
◎1921/2 フィラデルフィアにて係船
◎1921/11/3 海軍に貸与
ソンム Somme アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1920/12/24 陸軍輸送科に移管、ソンムと改名
◎陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はブルックリンの陸軍補給基地 Army Supply Base
◎1920 ニュー・ヨーク~Antwerp間およびニュー・ヨーク~サン・ファン~パナマ間の航路を運航(~1922)
◎1920/12/24 陸軍輸送科のために最初の航海を行った
◎1921/3/17 第一次大戦中にフランスにて戦死したアメリカ軍人1,609名の遺体をHobokenへ運ぶ
◎1921/8/12 ノーフォークの陸軍補給基地のピア1にて退役、係船
◎1921/12/23 再役
◎1922/8ごろ 陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Pacific Fleet)に編入
◎1922 サン・フランシスコ~ホノルル、サン・フランシスコ~ニュー・ヨーク航路を運航(~1931、マニラ、長崎、横浜への航海もあった)
◎1922/10/7 サン・フランシスコにて係船
◎1923/9/7 再役、1923年9月に日本を襲った大地震ののち、横浜に地震救援物資を輸送
◎1925/2 サン・フランシスコにて係船
◎1925/8 再役
◎1928 海兵隊遠征隊および陸軍のニカラグア地形調査隊を臨時に支援(~1932)
◎1931/10/27 ニュー・ヨーク港にてUnited States Shipping Boardに移管、 United States Lineに売却されAmerican Importerと改名
◎のちにAmerican Travelerと改名
◎のちにベルギーのSociété Maritime Anversoiseに売却されVille de Gandと改名、ベルギー船籍となる
1940/8/19 アイルランド北西海域にてドイツ海軍潜水艦U48(12)の雷撃により沈没
マルヌ Marne アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1920/12/30 陸軍輸送科に移管
◎1921/12 ノーフォークにて係船
◎1922年7月1日付大統領令により、U.S. Shipping Boardに引き渡される
◎1923/1/18 U.S. Shipping Boardに移管
◎1924初め American Merchant Lineに売却、American Traderと改名(12
◎のちにベルギーの海運会社Société Maritime Anversoiseに売却、Ville de Hasseltに改名、ベルギー船籍となる
1940/8/31 スコットランド西岸St. Kilda沖にてドイツ海軍潜水艦U46(12)の雷撃により沈没
ツアーズ Tours アメリカン・インターナショナル・シップビルディング社 ◎1921/1/22 陸軍輸送科に移管
◎のちに陸軍輸送科大西洋船隊(A.T.S. Atlantic Fleet)にて運用開始、母港はノーフォーク
◎のちにノーフォークにて係船
◎1923/1/11 United States Shipping Boardに移管
◎1924初め American Merchant Lineに売却されAmerican Shipperと改名
◎のちにSociété Maritime Anversoiseに売却されVille de Monsと改名、ベルギー船籍となる
1940/9/2 アイルランド北部海域にてドイツ海軍潜水艦U47(12)の雷撃により沈没


Update 23/10/15