HM
掃海ヘリコプター飛行隊 Helicopter Mine Countermeasures Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1971年4月1日に第12掃海ヘリコプター飛行隊(Helicopter Mine Countermeasures Squadron 12: HM-12)として設立される。1994年9月30日閉隊するも2015年10月1日に再役。ニックネームはSea Dragons
所在地 駐留日
NAS Norfolk 1971/4
航空機の割り当て 初受領日
RH-53D
MH-53E 1987/5
日付 主な出来事
1971/4 第6戦闘支援ヘリコプター飛行隊(Helicopter Combat Support Squadron SIX: HC-6)の第53分遣隊 Detachment 53から編成された第12掃海ヘリコプター飛行隊(Helicopter Mine Countermeasures Squadron TWELVE: HM-12)は、1971年4月1日にヴァージニア州ノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolk内に設立された。HM-12はその種の最初の飛行隊として、作戦部隊としても即応訓練飛行隊としてもユニークな機能を果たした
1972/10 設立後、HM-12は世界中でいくつかの戦時作戦に参加した。1972年10月、フロリダ州パナマ・シティ沖にハイフォン海峡沖を模擬した機雷原が設置された。海軍沿岸システム研究所(Naval Coastal Systems Laboratory: NCSL)とともに、HM-12の分遣隊は海雷に対抗するための戦術、技術、手順、装備の開発を開始した。1972年11月、13機のHM-12ヘリコプターと約450名の要員が“エンドスウィープ作戦 Operation ENDSWEEP”を支援するために展開した。北ヴェトナムの領海、港湾、水路から機雷を除去する任務を負ったHM-12機雷除去作戦は、北ヴェトナムとの和平交渉で重要な役割を果たすとともに、海軍航空史上初の実弾機雷爆発を記録した
1974 1974年から1975年にかけて、HM-12は“ニムバス・スター作戦 Operation NIMBUS STAR”と“ニムバス・ストリーム作戦 Operation NIMBUS STREAM”を支援するため、スエズ運河とアラブ首長国連邦の沿岸水域で機雷除去活動を行った。“ニムバス・ストリーム作戦”の成功ののち、HM-12分遣隊TWOはシシリー島のシゴネラ海軍航空施設 NAF Sigonellaに配備され、米第6艦隊 U.S. Sixth Fleetを支援するため垂直配備(vertical onboard delivery: VOD)作戦を実施した。
1978/5 1978年5月、機雷対策ユニット・アルファ Mine Countermeasures Unit ALPHAとHM-12第1分遣隊 Detachment ONEはHM-14に再指定された。1978年10月、機雷対策ユニット・ブラヴォー Mine Countermeasures Unit BRAVOとHM-12第2分遣隊 Detachment TWOはHM-16に再指定された。HM-12はAMCMコミュニティのための正式な艦隊代替訓練 fleet replacement trainingを維持し、CNO艦隊即応航空整備要員(CNO Fleet Readiness Aviation Maintenance Personnel: FRAMP)訓練コースと艦隊代替パイロット(Fleet Replacement Pilot: FRP)および航空機乗組員(Fleet Replacement Aircrew: FRAC)訓練コースを提供した
1983 海軍初のCH-53Eスーパー・スタリオンを引き渡したのち、HM-12はVOD作戦により深く関わるようになり、世界中の空母戦闘群 carrier battle group支援を担当した。1983年から1987年まで、HM-12“Hawlin Hogs”は東海岸とカリブ海全域の部隊に艦隊後方支援を提供した
1987/5 HM-12は1987年5月28日に最初のMH-53Eシー・ドラゴンを引き渡した。シー・ドラゴンは海軍の機雷対策兵器に加わった強力なものだった。MH-53Eはその前身機よりも技術的に優れており、AMCMコミュニティにとって飛躍的な進歩を意味した
1994/9 1994年9月30日に艦隊代替飛行隊として閉隊される前に、HM-12は23年以上の無事故を達成し、768名のパイロット、1200名の搭乗員、11,900名の整備員の資格を得ながら、75,000時間以上の無事故飛行を記録した。AMCM兵器システム訓練学校(AMCM Weapon Systems Training School: AWSTS)は、HMT 302、そしてのちのHM-14と提携し、1994年から2015年まで艦隊代替訓練を担当した
2015/10 2015年10月1日、HM-12は海軍で最も新しく、最も優れたヘリコプター飛行隊として再出発し、今後何年にもわたってその遺産を引き継ぐという明確な名誉を得た
2024/11 MH-53Eシー・ドラゴンの操縦資格を得た最後の米海軍パイロットが、ノーフォークのHM-12に配属され、訓練の最終段階を終えている。米海軍のニュース・リリースによると、ジャック・グリフィン大尉 Lt. Jack Griffinとケヴン・ハンフリーズ大尉 Lt. Keven Humphreysは、名機MH-53Eシー・ドラゴンを操縦するパイロットの資格を取得し、同機の42年の歴史に幕を閉じることになる


Update 24/12/01