第5艦隊の前進基地
Advanced Bases of U.S. 5th Fleet

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです


バーレーン海軍支援施設
※バーレーン海軍支援施設(Naval Support Activity Bahrain: NSA Bahrain)は、バーレーン王国にあるアメリカ海軍の基地であり、アメリカ海軍中央軍とアメリカ第5艦隊の本拠地となっている。第二次大戦中、英国海軍基地(HMS Jufair)の跡地を占領していたアメリカ海軍は、現地に駐留していた。1971年に米国政府に移管されたバーレーン海軍支援施設は、兵站、補給、防衛に加え、海軍交流施設や士気・福利厚生・レクリエーションプログラムを通じて、アメリカ軍および連合軍の資産を支援している。欧州・アフリカ・南西アジア海軍管区司令官は、バーレーン海軍支援施設とジブチのキャンプ・レモニエ Camp Lemonnierを担当している。欧州・アフリカ・南西アジア海軍区 Navy Region Europe, Africa, Southwest Asiaは海軍施設司令部(Navy Installations Command)の管轄下にあるが、海軍中央軍司令部 Naval Forces Central Commandと緊密に連携している
※イギリス海軍がペルシャ湾に初めて進出したのは、スエズ以東のイギリス船舶、特にインドへの東インド会社の航路を襲う海賊を取り締まる必要性からだった。このため、イギリスは初代ペルシャ湾上級海軍将校 Senior Naval Officer, Persian Gulfを任命した。1820年代初め、バーレーンの統治者であるサルマン Salmanとアブドゥッラー・アル・ハリーファ Abdullah Al Khalifaは、この地域における海賊行為を抑制するための協定に署名した。この方針は1835年にイギリス海軍と締結された協定によって強化され、この地域における海賊の活動阻止と奴隷貿易の制限の必要性が明記された。1932年、バーレーン石油会社 Bahrain Petroleum Companyはイラン以外では初めてペルシャ湾の油田を発見した。商業的な採​​掘は1934年に開始された
※シェイク・イーサ Sheikh Isaが1932年に死去したのち、1921年にイギリスの外交圧力により息子のハマド Hamadに国家の実権を委譲した。国家システムと主要インフラの近代化をともに進めてきた顧問のチャールズ・ベルグレイヴ Charles Belgraveは、イギリスと協定を結び、国内にイギリス海軍の恒久的な基地を開設すべきだと示唆した。1935年4月13日、ミナ・サルマン Mina Salman港の一部としてHMS Juffairが開設された。第二次大戦中、枢軸軍はペルシャ湾における連合軍の3つの石油源のうち1つを遮断しようと試み、イタリア空軍の爆撃を受けた
※この襲撃と、1941年12月に始まったアメリカ合衆国の第二次大戦参戦の結果、イギリス海軍はアメリカ海軍に小規模な分遣隊の派遣を要請した。第二次大戦後、この派遣地は1948年からアメリカ中東軍 U.S. Middle East Forceとして認められ、海兵隊の遠征艦艇に兵站と通信支援を提供する小規模な沿岸施設となった。1971年、バーレーンがイギリス帝国から独立したことに伴い、バーレーンにおけるイギリス海軍の恒久的な駐留は正式に終了した。首長の同意を得て、アメリカ海軍は直ちに10エーカー(40,000平方m)の敷地全体を引き継いだ。1979年、この場所はバーレーン行政支援ユニット Administrative Support Unit (ASU) Bahrainと命名された。1992年には、この地域におけるアメリカ海軍の活動の増大をより正確に反映するため、組織名は南西アジア行政支援ユニット ASU Southwest Asiaに改称された
※1997年、軍事建設計画の下、ジュファイアに施設が建設され、今日ではバーレーン海軍支援施設として知られる施設が誕生した。2003年、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”の開始に伴い、バーレーン海軍支援施設の施設は拡張を開始した。2006年には、“フリーダム・スーク Freedom Souq”として知られる大規模なフード・コートと拡張された海軍物資交換所がオープンし、軍人およびテナント司令部への士気向上と福利厚生支援が拡充された
※2010年、海軍は5年間で$580,000,000を投じる基地拡張プロジェクトに着手し、62エーカーの施設を実質的に倍増させることを提案した。第一段階の建設には、新たな外壁とセキュリティ・ゲート、そして複数のユーティリティ施設の建設が含まれていた。第二段階は、新たな港湾哨戒施設と小型船舶用停泊地の建設により港湾業務を拡大した。新しい兵舎、食堂、改装されたレクリエーション・センター、そして管理棟が建設された。最終段階には、バーレーン海軍支援施設とミナ・サルマンの港湾施設を結ぶ高架橋の建設が含まれていた
※この基地は、イラク戦争終結まで“新たな夜明け作戦 Operation New Dawn”となったのちも含め、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”と“イラクの自由作戦”を支援する海軍と海兵隊の活動のための地域における主要基地であった
2021年、バーレーン海軍支援施設は、米軍施設の運営・維持に携わる人々を表彰する2021年最高司令官年次施設優秀賞 2021 Commander in Chief's Annual Award for Installation Excellenceの受賞者5名のうちの1名として、国防総省施設優秀賞 DOD Installation Excellence Awardを受賞した
※2026年2月28日、イスラエルとアメリカによるイランへの攻撃が続く中、バーレーン海軍支援施設はイランの攻撃を受けた。基地のレーダー施設が被害を受けた。バーレーンへの攻撃は、イランがペルシャ湾地域の複数の米軍基地を標的とした、より広範な反撃の一部であった。この攻撃によるアメリカ人の死傷者は報告されていない。最初の攻撃ののち、アメリカ中央海軍司令部 United States Naval Forces Central Commandは、ジュファイア周辺地域はもはやアメリカ兵にとって安全ではないと結論付けた。その結果、マナマ Manamaのアメリカ大使館はバーレーンに残っている全てのアメリカ兵に屋内退避命令を出した
※攻撃前には、人員が“ミッション・クリティカル mission critical”なレヴェルまで削減され、基地内の人員は100人未満にまで大幅に減少した

↑United States Navy personnel performing morning colors at Naval Support Activity Bahrain in 2005. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 26/03/03