VFA
戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
※1960年9月1日に第161戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE HUNDRED SIXTY ONE: VF-161)として編成された。1986年6月1日に第161戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron ONE HUNDRED SIXTY ONE: VFA-161)へと改称され、1988年4月1日に閉隊された。VFA-161の名称が与えられた最初の飛行隊である。ニックネームは“チャージャーズ Chargers”(1960年〜1988年)
所在地 駐留日
NAS Cecil Field 1960/9/1
NAS Miramar 1961/9/19
NS Yokosuka (NAF Atsugi & Misawa) 1973/10/5
NAS Lemoore 1986/10
VF-161は、CVW-5(第5空母航空団)および攻撃航空母艦ミッドウェー Midway(CVA-41)とともに、空母と航空団を海外の母港に恒久的に配備する計画の一環として配置された。ミッドウェーの新たな母港は日本の横須賀海軍施設 NS Yokosukaとされ、同空母が横須賀に停泊している間、飛行隊は通常、厚木海軍航空施設 NAF Atsugiまたは三沢海軍飛行場 NAF Misawaを拠点に運用を行った。この配備は1973年6月30日付で発効したが、飛行隊と空母が実際に到着したのは1973年10月5日のことだった。VFA-161をCVW-5から外すこと、およびF/A-18への機種転換訓練後に日本へ戻さないことが決定された際、同飛行隊の母港もリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreに変更されたものと考えられている
航空団 テイル・コード 割り当て日
CVG-16/CVW-16 AH 1960/9/1
RCVW-12 1964/10
CVW-15 NL 1965/10/15
CVW-16 AH 1970/9/1
CVW-5 NF 1971/2/16
COMLATWINGPAC 1986/10
CVW-10 NM 1987/6/15
1963年12月20日、空母航空群(Carrier Air Group: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wing: CVW)へと改称された際、CVG-16はCVW-16へと改称された。同飛行隊は、F-4ファントムIIへの機種転換訓練期間中、RCVW-12の隷下に置かれた
航空機の割り当て 初受領日
F3H-2/F-3B 1960/10/12
F-4B 1964/8/5
F-4N 1973
F-4J 1977
F-4S 1981/2/6
F/A-18A 1986/7/9
F3H-2という名称は、1962年にF-3Bに変更された
日付 主な出来事
1963/11 攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)に乗艦。同飛行隊は、南ヴェトナムにおける危機的状況およびゴ・ディン・ジエム大統領 President Diemを失脚させたクーデターの期間中、南シナ海で活動した。
1966/6/13 第15空母航空団 CVW-15所属機による北ヴェトナムの鉄道・道路橋への攻撃後、第161戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE HUNDRED SIXTY ONE: VF-161)のF-4ファントムII4機が、攻撃を終えて離脱する味方機を追撃していた北ヴェトナム軍のMiG-17戦闘機6機と交戦した。この際、ウィリアム M. マクギガン大尉 Lieutenant William M. McGuiganとRIO(レーダー迎撃士官)のロバート M. ファウラー中尉 Lieutenant (jg) Robert M. Fowlerの搭乗機が、サイドワインダー・ミサイルを用いてMiG-17を1機撃墜した。ほかのMiG機は撃退され、CVW-15の全機が任務を終えて帰還した

(↑AIM-9サイドワインダー)
1968/3 VF-161を搭載した攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)は、1月に北朝鮮によって環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)が拿捕されたことを受け、朝鮮半島沖の作戦海域で活動した
1972/5〜10 同飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加した。これは、北ヴェトナム国内の標的を対象とした大規模な航空攻撃であり、物資の流入を遮断し、南ヴェトナムでの戦争遂行を継続する北ヴェトナムの能力を低下させることを目的としていた
1972/2/18 北ヴェトナムのケップ飛行場 Kep Airfield付近でMiG迎撃のための戦闘空中哨戒(Combat Air Patrol: CAP)を行っていた際、同飛行隊のF-4ファントムII2機がMiG-19戦闘機2機と交戦した。ヘンリー A. バーソロメイ大尉 Lieutenant Henry A. Bartholomayと同機のRIO(レーダー迎撃士官)であるオラン R. ブラウン大尉の Lieutenant Oran R. Brownペアが、サイドワインダー・ミサイルで1機目のMiGを撃墜した。その数秒後、僚機であるパトリック E. アーウッド大尉 Lieutenant Patrick E. Arwoodと同機のRIOであるジェームズ M. ベル大尉 Lieutenant James M. Bellのペアも、サイドワインダーで残る1機のMiGを撃墜した
1972/5/23 ハイフォン Haiphong地域への攻撃作戦にともなうMiG迎撃哨戒(CAP)任務中、同飛行隊の2機がケップ飛行場方面へ誘導され、4機のMiG-17および2機のMiG-19を視認した。VF-161の2機は、敵に3対1と数で圧倒されていたにもかかわらず、これらMiG機との交戦に入った。そののちの戦闘で、ロナルド E. マキューン少佐 Lieutenant Commander Ronald E. McKeownとRIOのジョン C. エンシュ大尉 Lieutenant John C. Enschは、サイドワインダー・ミサイルを用いてMiG-17とMiG-19をそれぞれ1機ずつ撃墜した。残る4機のMiG機は逃走し、VF-161の2機はミッドウェーに帰還した。両名は、この時の戦功により海軍十字章 Navy Crossを授与された
1973/1/12 ビクター T. コヴァレスキ大尉 Lieutenant Victor T. KovaleskiとRIOのジェームズ A. ワイズ大尉 Lieutenant James A. Wiseが、トンキン湾上空でMiG-17を撃墜した。これはヴェトナム戦争中に撃墜された最後のMiG機となった
1975/4〜5 南ヴェトナムが共産勢力に制圧される中、同飛行隊はサイゴンからの米国関係者撤退作戦である“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”に参加した
1976/8〜9 汎用航空母艦ミッドウェー(CV-41)に乗艦し、朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)で北朝鮮側により米軍人が殺害された事件を受け、同飛行隊は朝鮮半島近海で飛行作戦を実施した
1979/4〜5 北イエメンと南イエメンの間で戦闘が勃発し、イランではシャー(国王)が失脚したことを受け、VF-161を搭載したミッドウェーは、汎用航空母艦コンステレーション(CV-64)と交代し、米空母のプレゼンスを維持するためにアデン湾へデプロイメントを行った
1979/11〜1980/2 11月4日にテヘランの米国大使館が占拠され米国人が人質に取られた事態を受け、VF-161を搭載したミッドウェーはオマーン湾へ展開し、1980年2月初旬に交代するまで同海域で任務に就いた
1980/5〜6 韓国国内の政情不安および光州 Kwangjuでの数百名におよぶ虐殺事件を受け、VF-161を搭載したミッドウェーは朝鮮半島沖で活動した
1981/12 朝鮮半島情勢の緊張にともない、同飛行隊は緊張が緩和するまでミッドウェーに乗り組み、同半島沖で活動した
1986/5〜10 F/A-18ホーネットへの機種転換訓練および戦闘攻撃飛行隊 Strike Fighter Squadronへの改編を行うため、同飛行隊はリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreへ移動した。VF-161は、F-4戦闘機飛行隊でありながらVFAの名称を付与された数少ない2つの飛行隊のうちの一つであった
1986/10〜1987/6 第5空母航空団 CVW-5からの離脱後、新設される航空団への編入を待つ間、同飛行隊はリムーア海軍航空基地にて活動停止(インアクティヴ)状態にあった

↑VFA-161 F/A-18A launches an AIM-7 Sparrow missile in 1987. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 26/08/09