| 日付 |
主な出来事 |
| 1963/11 |
攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)に乗艦。同飛行隊は、南ヴェトナムにおける危機的状況およびゴ・ディン・ジエム大統領 President Diemを失脚させたクーデターの期間中、南シナ海で活動した。 |
| 1966/6/13 |
第15空母航空団 CVW-15所属機による北ヴェトナムの鉄道・道路橋への攻撃後、第161戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE
HUNDRED SIXTY ONE: VF-161)のF-4ファントムII4機が、攻撃を終えて離脱する味方機を追撃していた北ヴェトナム軍のMiG-17戦闘機6機と交戦した。 この際、ウィリアム M. マクギガン大尉 Lieutenant William M. McGuiganとRIO(レーダー迎撃士官)のロバート
M. ファウラー中尉 Lieutenant (jg) Robert M. Fowlerの搭乗機が、サイドワインダー・ミサイルを用いてMiG-17を1機撃墜した。ほかのMiG機は撃退され、CVW-15の全機が任務を終えて帰還した

(↑AIM-9サイドワインダー) |
| 1968/3 |
VF-161を搭載した攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)は、1月に北朝鮮によって環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)が拿捕されたことを受け、朝鮮半島沖の作戦海域で活動した |
| 1972/5〜10 |
同飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加した。これは、北ヴェトナム国内の標的を対象とした大規模な航空攻撃であり、物資の流入を遮断し、南ヴェトナムでの戦争遂行を継続する北ヴェトナムの能力を低下させることを目的としていた |
| 1972/2/18 |
北ヴェトナムのケップ飛行場 Kep Airfield付近でMiG迎撃のための戦闘空中哨戒(Combat Air Patrol: CAP)を行っていた際、同飛行隊のF-4ファントムII2機がMiG-19戦闘機2機と交戦した。ヘンリー A. バーソロメイ大尉 Lieutenant Henry A. Bartholomayと同機のRIO(レーダー迎撃士官)であるオラン
R. ブラウン大尉の Lieutenant Oran R. Brownペアが、サイドワインダー・ミサイルで1機目のMiGを撃墜した。その数秒後、僚機であるパトリック
E. アーウッド大尉 Lieutenant Patrick E. Arwoodと同機のRIOであるジェームズ M. ベル大尉 Lieutenant
James M. Bellのペアも、サイドワインダーで残る1機のMiGを撃墜した |
| 1972/5/23 |
ハイフォン Haiphong地域への攻撃作戦にともなうMiG迎撃哨戒(CAP)任務中、同飛行隊の2機がケップ飛行場方面へ誘導され、4機のMiG-17および2機のMiG-19を視認した。VF-161の2機は、敵に3対1と数で圧倒されていたにもかかわらず、これらMiG機との交戦に入った。そののちの戦闘で、ロナルド
E. マキューン少佐 Lieutenant Commander Ronald E. McKeownとRIOのジョン C. エンシュ大尉 Lieutenant
John C. Enschは、サイドワインダー・ミサイルを用いてMiG-17とMiG-19をそれぞれ1機ずつ撃墜した。残る4機のMiG機は逃走し、VF-161の2機はミッドウェーに帰還した。 両名は、この時の戦功により海軍十字章 Navy Crossを授与された |
| 1973/1/12 |
ビクター T. コヴァレスキ大尉 Lieutenant Victor T. KovaleskiとRIOのジェームズ A. ワイズ大尉 Lieutenant
James A. Wiseが、トンキン湾上空でMiG-17を撃墜した。これはヴェトナム戦争中に撃墜された最後のMiG機となった |
| 1975/4〜5 |
南ヴェトナムが共産勢力に制圧される中、同飛行隊はサイゴンからの米国関係者撤退作戦である“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”に参加した |
| 1976/8〜9 |
汎用航空母艦ミッドウェー(CV-41)に乗艦し、朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)で北朝鮮側により米軍人が殺害された事件を受け、同飛行隊は朝鮮半島近海で飛行作戦を実施した |
| 1979/4〜5 |
北イエメンと南イエメンの間で戦闘が勃発し、イランではシャー(国王)が失脚したことを受け、VF-161を搭載したミッドウェーは、汎用航空母艦コンステレーション(CV-64)と交代し、米空母のプレゼンスを維持するためにアデン湾へデプロイメントを行った |
| 1979/11〜1980/2 |
11月4日にテヘランの米国大使館が占拠され米国人が人質に取られた事態を受け、VF-161を搭載したミッドウェーはオマーン湾へ展開し、1980年2月初旬に交代するまで同海域で任務に就いた |
| 1980/5〜6 |
韓国国内の政情不安および光州 Kwangjuでの数百名におよぶ虐殺事件を受け、VF-161を搭載したミッドウェーは朝鮮半島沖で活動した |
| 1981/12 |
朝鮮半島情勢の緊張にともない、同飛行隊は緊張が緩和するまでミッドウェーに乗り組み、同半島沖で活動した |
| 1986/5〜10 |
F/A-18ホーネットへの機種転換訓練および戦闘攻撃飛行隊 Strike Fighter Squadronへの改編を行うため、同飛行隊はリムーア海軍航空基地 NAS
Lemooreへ移動した。VF-161は、F-4戦闘機飛行隊でありながらVFAの名称を付与された数少ない2つの飛行隊のうちの一つであった |
| 1986/10〜1987/6 |
第5空母航空団 CVW-5からの離脱後、新設される航空団への編入を待つ間、同飛行隊はリムーア海軍航空基地にて活動停止(インアクティヴ)状態にあった |