陸軍輸送船
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略
- 排水量:8,583t 全長:113.08m 幅:13.46m 吃水:7.92m 主缶:缶2基(double-ended) 主機/軸数:Harland & Wolff式3-cyl. triple-expansion機関4基/1軸 出力:375計画馬力 速力:10.0kt 兵装:76mm砲2基 乗員:202名
↑USAT Buford (U.S. Army Transport). At Manzanillo, Mexico, to embark American refugees, October 1912. This ship served as USS Buford (ID # 3818) in January-September 1919. Courtesy of Miss L. Wolford, Historical Section, U.S. Navy, 1926. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Image courtesy of HyperWar.
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ビュフォード (1、2、3) |
Buford | 25 | Harland & Wolff, Ltd. | ◎1898/6/24 1890年8月29日進水のボルティモアのAtlantic Transport Lineの汽船Mississippi(1890年10月28日にロンドンから処女航海を開始した。指揮を執ったのは初代船長のハミルトン・マレル
Hamilton Murrellで、彼は1年前に沈没したデンマークの旅客船Danmarkから735名の命を救った“ダンマーク災害の英雄 Hero
of the Danmark Disaster”であり、これは当時の単一の救助としては最大のものであった)を陸軍需品科が購入 ◎1898/7/25 艦種記号25を与えられる ◎1899/3/2 ビュフォードと改名 ◎1900 ニューポート・ニューズのニューポートニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社で輸送船に改装(4本あったマストのうち2本を取り除き、残りの2本をロング・マストに交換した) ◎1918/12 改装 ◎1919/1/14 ニュー・ヨークにて海軍に移管 ◎退役後、陸軍輸送科に移管 ◎ビュフォードの最も悪名高い姿は、数ヵ月後に“ソヴィエトの箱舟”(もしくは“赤い箱舟”)として使用された時のことである。1919年12月21日、ロシア労働者同盟のメンバーを中心とした249名の政治的急進派やその他の“望ましくない”外国人をロシア連邦に送還するために使用された。また、熱狂的なアナーキストであるエマ・ゴールドマン Emma Goldmanとアリグザンダー・バークマン Alexander Berkmanも連行された。これはアメリカにおける最初の“赤の恐怖”の時代の第一次パーマー襲撃と第二次パーマー襲撃の間に起こったことである。容疑者を送り届けたのち、ビュフォードは1920年2月22日にニュー・ヨークに戻った ◎1923初め San Francisco-based Alaskan Siberian Navigation Companyに売却 ◎1923/7/20 創業間もない同社は、アラスカとシベリアの市場でのビジネスチャンスを探るため、サン・フランシスコ商工会議所の代表団を乗せてビュフォードを北に向けて航行させた。往路のシアトルでは、失業中の25歳の若い記者が、最初は乗客として、そののちは乗員として乗船した。彼はのちにE. B. ホワイト E. B. Whiteとしてよく知られるようになる、ニュー・ヨーカー誌 The New Yorkerの編集者であり、児童文学の名作「シャーロットの巣」の著者でもあるエルウィン・ブルックス・ホワイト Elwyn Brooks Whiteである 1924 映画会社メトロゴールドウィンメイヤー・プロダクションの映画「海底王キートン The Navigator」撮影用に用いられる ◎1929 横浜にて解体 |
Update 24/05/26