アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
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不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※戦艦籍 Battleshipsの一等戦艦 Battleship, First Lineはのちに戦艦 Battleshipと名称が変更される。1920年7月17日、艦種記号BがBBに改められる。一等戦艦と二等戦艦 Battleship, Second Line(OBB)に区分された期間は、1912年〜1916年、1920年〜1930年
- 常備排水量:10,288t 満載排水量:11,688t 全長:106.71m(BB-3は107.04m) 幅:21.12m 吃水:7.31m 主缶:スコッチ円缶4基(double-ended、BB-1は1904年にはバブコック&ウィルコックス缶8基に換装、BB-2は1907年にはバブコック&ウィルコックス缶8基に換装) 主機/軸数:vertical triple-expansion機関2基/2軸 出力(計画):10,400馬力 速力:15.0kt(16.8ktともいわれる、BB-2は16.21kt、BB-3は16.0kt) 燃料搭載量:石炭1,640t 航続力:10ktで5,640浬 兵装:35口径330mm連装砲2基、35口径203mm連装砲4基、40口径152mm単装砲4基、6ポンド砲20基、1ポンド砲6基、457mm水上魚雷発射管4門(1905年〜1908年に撤去、BB-2、BB-3は457mm水上魚雷発射管5門)(1910年には50口径76mm単装砲12基、6ポンド砲4基、1ポンド砲2基。1918年には50口径76mm単装砲4基のみ) 装甲:水線203.2mm〜457.2mm、主砲塔側面431.8mm、主砲塔天蓋50.8mm、砲郭127mm、甲板69.85mm、隔壁355.6mm、バーベット203.2mm〜431.8mm、司令塔254.0mm 乗員:士官32名、下士官兵441名(1903年には士官、下士官兵合わせて509名、1910年には士官、下士官兵合わせて653名、1918年には士官、下士官兵合わせて795名、BB-2は士官、下士官兵合わせて586名)
- ※当初は航洋沿岸戦艦 Sea-going Coast-line Battleshipsとして計画
- ※煙突はのちに延長工事。1910年に篭マストを後部に設置(BB-2は1911年)
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
インディアナ (1、2) |
Indiana | BB-1 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1895/11/20 | 1919/1/31 | ◎1891/5/7 起工 ◎1893/2/28 進水 ◎1895/11/19 引き渡される ◎フィラデルフィア海軍工廠にて艤装 ◎1898 ニュー・ヨーク海軍工廠にて入渠 ◎1903/12/29 ニュー・ヨーク海軍工廠にて退役 ◎1906/1/9 再役 ◎1914/5/23 フィラデルフィアにて退役 ◎1917/5/24 再役 1918/1 Ambrose Channelにて商船Deraと衝突し損傷、Deraを沈没させる ◎1919/3/29 海防戦艦第1号 Coastal Battleship No. 1と改名 ◎1920/11/1 Tangier Islandにて爆撃標的として沈没 ◎1924/3/19 解体のため売却 |
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◎Blockade of Cuba 1898. Bombardment of Sun Juan, 12 May 1898 and of Santiago, 2 Jul 1898. Battle of Santiago. | |||||||
マサチューセッツ (1、2、3) |
Massachusetts | BB-2 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1896/6/10 | 1919/3/29 (1919/3/31?) |
1920/11/22 | ◎1891/6/25 起工 ◎1893/6/10 進水 ◎1896/5/29 引き渡される ◎1896/12上旬 ニュー・ヨーク海軍工廠にてオーヴァーホール 1903/1/16 後部203mm連装砲塔内で爆発事故により損傷 ◎1904/5/27 ニュー・イングランドにて海軍兵学校の練習艦となる(〜1904/8/30) ◎1904/9? ニュー・ヨークにてオーヴァーホール(〜1905/1) ◎1905/11中旬 ニュー・ヨークにて不活性化オーヴァーホール ◎1906/1/8 退役 ◎1910/5/2 再役 ◎1910夏 海軍兵学校の練習艦となる ◎1912/9 大西洋予備艦隊に編入 ◎1914/5/23 フィラデルフィアにて退役 ◎1917/6/9 再役 ◎1918/5下旬 フィラデルフィア海軍工廠にて修理 ◎1919/3/29 海防戦艦第2号 Coastal Battleship No. 2と改名 ◎除籍後、陸軍省に移管され標的艦となる ◎1921/1/6 Pensacola BarにてFort Pickensの沿岸砲標的として沈没(1、2、3、4) ◎1925/2/20 海軍に返還 ◎1956/11/15 フロリダ州に移管 |
◎Blockade of Cuba 1898. Bombardment of Santiago forts, 6 and 16 Jun and 2 Jul 1898. | |||||||
オレゴン (1、2) |
Oregon | BB-3 | ユニオン鉄工所 | 1896/7/15 | 1919/10/4 | 1942/11/2 | ◎1891/11/19 起工 ◎1893/10/26 進水 ◎1896/6/26 引き渡される ◎就役後、艤装(〜1898/2/16) ◎1898/7? ニュー・ヨーク海軍工廠にて改装(〜1898/10) 1900/6/28 Straits of Pechiliにて座礁により損傷 ◎1900/7/5 離礁 ◎1900/7/6 Hope Soundへ曳航、一時的な修理 ◎1900/7/17 呉にて入渠、修理 ◎1901/7上旬 海軍工廠ピュージェット・サウンドにてオーヴァーホール ◎1906/4/27 海軍工廠ピュージェット・サウンドにて退役、のちに入渠 ◎1911/8/29 再役、保管(〜1911/10) ◎1914/9/16 ブレマートンにて保管(〜1915/1/2) ◎1916/2/11 ブレマートンにて保管(〜1917/4/7) ◎1917/9/20 メア・アイランドのDrydock No. 2にて入渠(〜1917/9/30) ◎1919/6/12 ブレマートンにて退役 ◎1919/8/21 再役 ◎1924/1/4 艦種を非分類雑役船に改める |
◎Made historic 14,000-mile voyage from San Francisco to Florida around Cape Horn, 19 Mar-14 May 1898. Blockade of Cuba 1898. Bombardment of Santiago forts, 6 and 16 Jun and 2 Jul 1898. Battle of Santiago. Asiatic Station 1899-1900, 1903-1906. Philippine campaign. |
Update 24/12/09