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アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


※ワシントンD.C. District of Columbiaに所在。最初、ストレージと造船施設からスタートし、19世紀の間に海軍用兵器の開発と生産、およびテストに関係する重工業施設へと変わっていった。各種兵装を多数製造するために、1900年代初期と2回の世界大戦の間に拡大した時に施設はかなり成長した。 艦載用ミサイルが海軍の主要な装備として砲に取って代わった時に、その名前は第二次大戦直後の海軍砲熕工場 Naval Gun Factoryに、そして1959年に海軍兵器プラント Naval Weapons Plantに名称を変更。しかしそののち、国防総省での方針転換や事業系統の変更によって数年以内にプラントの産業の仕事は停止、多くは非海軍用途に転換されて名称はワシントン海軍工廠に戻った。そののち、40年位の間に古くなった工業用建物は最近新しい目的のために修理されたか、新しい建築物に建て直された
※2018年12月28日にメリーランド州 State of Marylandのロックヴィル RockvilleのGrunley Construction, Inc. が実施する文書保管/研究施設の改修工事について、オプション1とオプション3契約分を$14,676,000で契約。2022年3月に完成予定
※2020年9月29日にメリーランド州のロックヴィルのG-W Management Services, LLCが実施する再生補修と新規建設の工事を$9,566,493で契約。2022年3月まで。前契約はN40080-19-D-0015(N40080-20-F-5378)
※2022年9月29日にメリーランド州のElkridgeのTidewater, Inc. が実施するBuilding 210の建設工事を$14,621,354で契約。オプション契約分まで含めた総額は$15,665,334。2024年2月まで
↑Washington Navy Yard, District of Columbia. Colored lithograph published by E. Sachse & Company, Baltimore, Maryland, circa 1862. It depicts the Navy Yard as seen from above the Anacostia River, looking north, with Building # 1 and the trophy gun park in the center. Courtesy of Mrs. Worth Sprunt, 1974. U.S. Naval Historical Center Photograph.
↑Naval Gun Factory, Washington Navy Yard, D.C. Scene in the Foundry, during World War II. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
↑Naval Gun Factory, Washington Navy Yard, District of Columbia. View of the Navy Yard and its vicinity, looking east from approximately over South Capitol Street, circa 1946. M Street SE, the Yard's northern boundary, is at left. Half Street and First Street SE (the Yard's western boundary) are at the bottom of the photo. Courtesy of the U.S. Naval Institute Photo Collection, 1981. U.S. Naval Historical Center Photograph.
↑Washington Navy Yard, D.C. View of the central part of the Yard, looking south, circa the early 1990s. M Street SE, the Yard's northern boundary, is in the forground, with the Latrobe Gate in the lower right. At the foot of the Admiral Leutze Park parade ground, in the middle of the view,is the Building 57-44-108 and 67-46 complex, which housed most of the Naval Historical Center. Building 70, which held the Navy Museum, is the long building at right. The small building to the left of Building 70 is Building # 1, which also held Naval Historical Center offices. The bow of the display ship Barry (DD-933) is visible in the upper right. U.S. Naval Historical Center Photograph.
↑The National Museum of the U.S. Navy is located in buildings 76 (main building) and 70 (Cold War Gallery). Locations are indicated on the map with the museum's anchor logo.

↑WASHINGTON (March 2, 2017) - An aerial view of Naval Support Activity (NSA) Washington on the historic Washington Navy Yard (WNY). The Navy base is the "Quarterdeck of the Navy" and serves as the Headquarters for Naval District Washington, where it houses numerous support activities for the fleet and aviation communities. U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 1st Class John Belanger. (Released)


※ウィラミット・アイアン&スチール社 Willamette Iron & Steel Corp. は、1865年に総合鋳造工場であるウィラミット鉄工所 Willamette Iron Worksとして設立され、1904年にウィラミット・アイアン&スチール社に改称された。第二次大戦後は、1990年に閉鎖されるまで修理工場として使用されていた。修理工場はN.W. 17th Avenueの麓にあった


※ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 William Cramp & Sons Ship & Engine Building Companyはフィラデルフィア Philadelphiaのケンジントン地区 Kensington district、デラウェア川 Delaware Riverに沿った都心の北東に建設。1830年に設立されて、最初は快走大型帆船と他の商船用の建造をしていた。19世紀の終わりまでに、クランプはフィラデルフィア・エリアの最も大きなビジネスの1つになり、戦艦インディアナ Indianaを含むアメリカ海軍艦船の主要な造船会社となる。1919年に、同社はW. エーヴレル・ハリマン W. Averell Harrimanが所有するアメリカン・シッピング&コマース社 American Shipping & Commerce Corporationによって買収。1927年に営業停止となっていたが、造船所は政府が$22,000,000投資し、クランプ造船所 Cramp Shipbuildingとして1940年において再開。戦時生産は主として軽巡洋艦と潜水艦から成った。第二次世界大戦後に造船所は閉鎖、現在は工業団地となっている
潜水艦ガトー/バラオ級の項でも触れたが、クランプ造船所はポーツマス海軍工廠製の図面で建造。ポーツマス海軍工廠設計案は主錨が左舷。上部構造のフリー・フラッド・ホール(半月の穴が一列に並んでいるヤツ)が、ポーツマス海軍工廠設計案は角丸長方形で、上部構造の後端まで上下3~1列に連続して並ぶ。エレクトリック・ボート社設計案は主錨が右舷。上部構造のフリー・フラッド・ホールが半月型。艦橋(Farewater)の直前まで並び、その後はスリット状になっている
↑William Cramp & Sons Ship & Engine Building Company, Philadelphia, Pennsylvania. World War II-era photo.
※同社は、1910年代にキューバからの依頼で、以下の艦も建造した
↑キューバ海軍巡洋艦パトリア Patria(竣工時)
↑キューバ海軍巡洋艦キューバ Cuba(1937年時)
※同社は、1898年にロシアからの依頼で、以下の艦も建造した

↑日本海軍戦艦肥前(元ロシア海軍戦艦レトヴィザン Retvizan)


アイザック・ウェッブ Isaac Webbとジョン・アレン John Allenは1825年、マンハッタンの5丁目と7丁目の間のルイス・ストリート Lewis Street沿いにあったヘンリー・エックフォード造船所 Henry Eckford shipyardの跡地に、ウェッブ&アレン造船所Webb & Allen shipyardを開設した。1840年にアイザック・ウェッブが亡くなると、息子のウィリアム Williamは造船所の会計を調査し、破産していることを突き止めた。ウェッブは引退するジョン・アレンを買収し、造船所は単に“ウィリアム H. ウェッブ William H. Webb”として知られるようになった。1840年から1869年の間に、この造船所は135隻の船を建造した。当時、船の建造は木造と帆から鉄と蒸気へと進化していた。当時最速のクリッパー船のいくつかはウェッブによって設計・建造され、また最先端の蒸気船も建造された。ウィリアム H. ウェッブは著名な海軍建築家であり造船技師であったが、1889年にウェッブ・アカデミー・アンド・ホーム・フォー・シップビルダーズ The Webb Academy and Home for Shipbuilders(現在のウェッブ・インスティテュート・オブ・ネイヴァル・アーキテクチャー Webb Institute of Naval Architecture)を創設した人物としてさらによく知られている。今日に至るまで、ウェッブ・インスティテュートは、彼の慈善活動の結果、授業料無料の海軍建築の完全認定工学プログラムを提供している。ここで紹介した情報の多くは、1989年にウェッブ・インスティテュートから出版されたエドウィン・L・ダンボー Edwin L. Dunbaughとウィリアム・デュバリー・トーマス William duBarry Thomas著「ウィリアム H. ウェッブ、造船技師 William H. Webb, Shipbuilder」から引用したものである

↑USS Dunderberg under construction at the Webb shipyard, 1863. Image courtesy of en.wikipedia.org.

※同社は、1863年~1864年にイタリアからの依頼で、以下の艦も建造した

↑Image courtesy of Shipbucket.


ホール・ブラザーズ・マーリン・レイルウェー&シップビルディング社 Hall Bros. Marine Railway & Shipbuilding Co. は、1878年にヘンリー・ホール Henry Hallによって設立。1903年にポート・ブレイクリー Port Blakely会社が拡大していったため、ホールはマドロン村 village of Madrone近郊のベインブリッジ島 Bainbridge Islandのイーグル・ハーバー Eagle Harborにある311,607m²の敷地に設立。ホールの亡くなった兄弟に敬意を表して後にウィンスロー Winslowと改名。ホールは1916年にウィンスロー・マリーン・レイルウェー&シップビルディング社 Winslow Marine Railway & Shipbuilding Companyと名称を変更。ジェームズ・グリフィス大佐 Captain James Griffithsに事業を売却したが、翌年にD. W. ハーツェル社 D. W. Hartzel, Inc. に賃貸した。グリフィスは第一次大戦後に造船所に戻り、主にフェリー運営会社の修理施設として運営した。第二次大戦中、彼は鋼製掃海艇を建造し、最高人員は2,300名に達した。造船所は1948年に売却され、ウィンスローのコマーシャル・シップ・リペア Commercial Ship Repair of Winslowと改名されたが、徐々に縮小し、1959年についに閉鎖した。そののち、ここの施設はマリーナ、マンション施設、ワシントン州フェリーのメンテナンス施設 Washington State Ferries maintenance facilityに分割された


Update 23/06/20