魚雷艇戦隊 Motor Torpedo Boat Squadron
| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| 不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※1973年6月30日まで、アメリカ海軍では艦隊内の区分は昇順であり、空母戦隊、戦艦戦隊、巡洋艦戦隊、駆逐隊、および潜水隊はDivision、駆逐戦隊および潜水戦隊などはSquadronと呼称していた。さらに駆逐艦および潜水艦は2~3個戦隊で隊群、Flotillaを編成した。現在のSquadronはかつてのDivisionに相当するものである
- ※第3魚雷艇戦隊(Motor Torpedo Boat Squadron Three: MTBRon 3)は、1941年9月から同年12月までフィリピン・キャヴィテ州キャヴィテ海軍基地 Naval Base Caviteを拠点としたアメリカ海軍の部隊である。ジョン D. バルクリー大尉 Lieutenant John D. Bulkeleyが指揮を執り、6隻の魚雷艇で構成されていた:PT-31、PT-32、PT-33、PT-34、PT-35、そして旗艦としてPT-41。同隊のほかの6隻はハワイの真珠湾に留まり、開戦時には同地にいたが、のちにソロモン諸島へ移送された
↑Flagship Pennant of MTB Squadron 3. Image courtesy of en.wikipedia.org.
| 日付 | 主な出来事 |
| 1941/12 | 1941年12月7日に日米間で戦闘が勃発したのち、同艦隊はキャヴィテ Caviteからバターン半島 Bataan Peninsulaのシシマン湾 Sisiman Bayへ移動し、徴用された曳船トラバハドール Trabajadorを補給艦として、日本軍のフィリピン侵攻時にバターンとコレヒドール Corregidorの防衛を支援した。 |
| 1942/3 | 1942年3月11日、残存艇はダグラス・マッカーサー大将 General Douglas MacArthurら高級将校をコレヒドール島からミンダナオ島 Mindanaoへ輸送。 |
| これら3隻のボートは1942年4月中旬までミンダナオ島を拠点としており、うち2隻(PT-41とPT-34)が球磨を攻撃し、少なくとも1発の命中弾を記録した。これが同分隊の最後の戦闘となった。 (↑日本海軍軽巡洋艦球磨(竣工時)) |
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| バルケリー大尉ら4名の将校はマッカーサーの命令でのちに空路で脱出に成功し、間もなく5人目の将校が合流した。結果としてこの分隊の生存者はこの5名のみとなった。 |
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| 1942/7 | 1942年7月27日、第2魚雷艇戦隊は第3魚雷艇戦隊(MTBRon 3)に移管され、MTBRON 3(2)と改称された |
↑WWII poster with quote from John D. Bulkeley, Cd. Motor Torpedo Boat Squadron 3. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 25/11/12