日付 |
主な出来事 |
1990/9 |
“ウォーホース Warhorse”は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert
Storm”で初めて実戦配備され、飛行した。1990年9月1日、同飛行隊はサウジ・アラビアのジュベイル Jubailに到着し、戦場のすべての統合軍を支援。この派遣中に飛行隊は2機を失い、部隊は戦争の残りの期間、6機のヘリコプターを持つことになった。同飛行機隊は紛争期間中、I
MEFにヘヴィーリフトの支援を行った。HMH-465は1991年3月15日にタスティン海兵隊航空基地 MCAS Tustinに帰還した |
1991/10 |
1991年10月5日、飛行隊長のラッセル L. ルウェリンIII世中佐 LtCol Russell L. Llewellyn IIIは、12機のCH-53Eと全ての飛行隊員を5機のC-5と2機のC-141で沖縄の海兵隊普天間基地へ配備し、沖縄で最初のCH-53E飛行隊として7ヶ月間のユニット・デプロイメントを実施した。同飛行隊はこの間、アジア全域で数多くの演習をサポートした |
1995/1 |
1995年1月13日、F-14Dの衝突で脱出した4名の海軍航空士官の回収を飛行隊の2機が支援した。この行動により、11名の飛行隊員がシコルスキー・エアクラフト・レスキュー・アワード Sikorsky Aircraft Rescue Awardsを授与 |
1998/1 |
1998年1月、HMH-465は無事故飛行時間20,000時間を達成 |
1999/12 |
1999年12月から2000年7月まで、“ウォーホース”飛行隊はユニット・デプロイメント・プログラム Unit Deployment Programの一環として、日本の沖縄に7ヶ月間派遣された。2001年3月に沖縄に再展開した |
2003/4 |
“ウォーホース”は、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するために何度も出動している。2003年4月1日の夜には、捕虜となったジェシカ・リンチ陸軍上等兵 Army PFC Jessica Lynchを救出した特別チームである第20任務部隊 Task Force 20のCH-53E部隊を構成した。彼らの最新のツアーは2006年10月に始まり、アル・アサド
Al Asadを拠点として、イラクのアル・アンバー州 Al Anbar Provinceで海兵隊の攻撃支援を提供している。2006年12月11日には21名の人員を乗せていたHMH-465のヘリが着陸中に墜落、1名が死亡17名が負傷 |
2006/12/11 |
2007年春、HMH-465は第15海兵遠征隊と第31海兵遠征隊 15th and 31st Marine Expeditionary Unitsに分遣隊を提供。これらの分遣隊を通じて、同隊は東南アジア全域で“テロとの戦い”を支援し続け、重要な災害救援を提供してきた |
2008/7 |
カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガー California Governor Arnold Schwarzeneggerが猛威を振るう山火事に対抗するための軍事支援を要請したため、ウォーホースは2008年7月2日に3機と40名の海兵隊員をリムーア海軍航空基地 Naval
Air Station Lemooreに派遣。ヘリコプターは、アメリカ合衆国北方軍 United States Northern Commandと国立消防センター
National Fire Centerに重量物回転翼の支援を提供した。約2週間後、ビッグ・サー Big Surのベイスン複合火災 Basin
Complex Fireに68,000ガロン以上の水を投下し、飛行隊の分遣隊は、メンドシノ郡 Mendocino Countyで燃える7,000エーカー(28km²)の山火事に消防士を助けるためにサクラメント
Sacramento近くのマクレラン飛行場 McClellan Airfieldに移った |
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さらなる展開に備え、8つの州で訓練分遣隊を実施し、世界的なテロとの戦いを支援することを引き続き優先している |