HMH
海兵重ヘリコプター飛行隊 Marine Heavy Helicopter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1981年12月1日に第465海兵重ヘリコプター飛行隊(Marine Heavy Helicopter Squadron 465: HMH-465)として設立、CH-53Eからなるアメリカ海兵隊のヘリコプター飛行隊である。海兵隊で2番目、第16海兵航空群で最初のCH-53E飛行隊となった。カリフォルニア州ミラマー海兵隊航空基地 Marine Corps Air Station Miramarを拠点とし、第16海兵航空群(Marine Aircraft Group 16: MAG-16)および第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)の指揮下にある。ニックネームはWarhorse

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
MCAS Miramar 1981/12/1
航空機の割り当て 初受領日
CH-53E
日付 主な出来事
1990/9 “ウォーホース Warhorse”は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”で初めて実戦配備され、飛行した。1990年9月1日、同飛行隊はサウジ・アラビアのジュベイル Jubailに到着し、戦場のすべての統合軍を支援。この派遣中に飛行隊は2機を失い、部隊は戦争の残りの期間、6機のヘリコプターを持つことになった。同飛行機隊は紛争期間中、I MEFにヘヴィーリフトの支援を行った。HMH-465は1991年3月15日にタスティン海兵隊航空基地 MCAS Tustinに帰還した
1991/10 1991年10月5日、飛行隊長のラッセル L. ルウェリンIII世中佐 LtCol Russell L. Llewellyn IIIは、12機のCH-53Eと全ての飛行隊員を5機のC-5と2機のC-141で沖縄の海兵隊普天間基地へ配備し、沖縄で最初のCH-53E飛行隊として7ヶ月間のユニット・デプロイメントを実施した。同飛行隊はこの間、アジア全域で数多くの演習をサポートした
1995/1 1995年1月13日、F-14Dの衝突で脱出した4名の海軍航空士官の回収を飛行隊の2機が支援した。この行動により、11名の飛行隊員がシコルスキー・エアクラフト・レスキュー・アワード Sikorsky Aircraft Rescue Awardsを授与
1998/1 1998年1月、HMH-465は無事故飛行時間20,000時間を達成
1999/12 1999年12月から2000年7月まで、“ウォーホース”飛行隊はユニット・デプロイメント・プログラム Unit Deployment Programの一環として、日本の沖縄に7ヶ月間派遣された。2001年3月に沖縄に再展開した
2003/4 “ウォーホース”は、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するために何度も出動している。2003年4月1日の夜には、捕虜となったジェシカ・リンチ陸軍上等兵 Army PFC Jessica Lynchを救出した特別チームである第20任務部隊 Task Force 20のCH-53E部隊を構成した。彼らの最新のツアーは2006年10月に始まり、アル・アサド Al Asadを拠点として、イラクのアル・アンバー州 Al Anbar Provinceで海兵隊の攻撃支援を提供している。2006年12月11日には21名の人員を乗せていたHMH-465のヘリが着陸中に墜落、1名が死亡17名が負傷
2006/12/11 2007年春、HMH-465は第15海兵遠征隊と第31海兵遠征隊 15th and 31st Marine Expeditionary Unitsに分遣隊を提供。これらの分遣隊を通じて、同隊は東南アジア全域で“テロとの戦い”を支援し続け、重要な災害救援を提供してきた
2008/7 カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガー California Governor Arnold Schwarzeneggerが猛威を振るう山火事に対抗するための軍事支援を要請したため、ウォーホースは2008年7月2日に3機と40名の海兵隊員をリムーア海軍航空基地 Naval Air Station Lemooreに派遣。ヘリコプターは、アメリカ合衆国北方軍 United States Northern Commandと国立消防センター National Fire Centerに重量物回転翼の支援を提供した。約2週間後、ビッグ・サー Big Surのベイスン複合火災 Basin Complex Fireに68,000ガロン以上の水を投下し、飛行隊の分遣隊は、メンドシノ郡 Mendocino Countyで燃える7,000エーカー(28km²)の山火事に消防士を助けるためにサクラメント Sacramento近くのマクレラン飛行場 McClellan Airfieldに移った
さらなる展開に備え、8つの州で訓練分遣隊を実施し、世界的なテロとの戦いを支援することを引き続き優先している


Update 24/04/14