HMH
海兵重ヘリコプター飛行隊 Marine Heavy Helicopter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第464海兵重ヘリコプター飛行隊(Marine Heavy Helicopter Squadron 464: HMH-464)は、CH-53Eスーパー・スタリオン輸送ヘリコプターで構成されるアメリカ海兵隊のヘリコプター飛行隊である。同飛行隊は“コンドルズ Condors”として知られ、ノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverを拠点としている。第29海兵航空群(Marine Aircraft Group 29: MAG-29)と第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下にある。

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS El Toro 1944/4/15
MCAS New River 1981/3/1
航空機の割り当て 初受領日
SB2C-1 1944/4
CH-53E
日付 主な出来事
1944/4 第464海兵偵察爆撃飛行隊(Marine Scout Bomber Squadron 464: VMSB-464)は1944年4月15日、カリフォルニア州エル・トロの海兵航空基地 MCAS El Toroで、要員を訓練するために活動を開始した。その年の10月に代替訓練飛行隊に指定され、その地位は変わった。1945年6月1日に第464海兵雷撃爆撃飛行隊(VMTB-464)と再指定された。日本の降伏後、飛行隊は1946年3月10日、米軍総辞退の一環として活動停止となった
1981/3 第464海兵重ヘリコプター飛行隊(HMH-464)は、1981年3月1日にノース・カロライナ州ニュー・リヴァー海兵航空基地 MCAS New Riverでフリン中佐 LtCol Flynnの指揮の下、CH-53Eスーパー・スタリオンの受領と艦隊海兵隊への導入を任務として再活性化された。1981年半ばに最初の生産型CH-53Eを受領した最初の海兵隊飛行隊となった。1983年、飛行隊のCH-53E機4機とパイロット、支援地上要員は、第24海兵両用ユニット 24th Marine Amphibious Unitの一員として強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)に乗艦し、レバノンのベイルートに派遣された。これは新型機の初の艦上展開であった。同機は戦地での展開中、重量物の揚陸支援を提供し、10月23日の海兵隊兵舎への悲劇的な爆発の余波の中で重要な支援を行った。1984年9月、10,000時間の無事故飛行を達成。“複合武器演習6/7 Combined Arms Exercise 6/7”ののち、HMH-464はアリゾナ州ユマ海兵航空基地 MCAS Yumaからニュー・リヴァー海兵航空基地まで、空中給油を利用して1,870マイル(3,010km)の距離を無着陸飛行し、新たな記録を達成した。同飛行隊は、海兵隊航空協会 Marine Corps Aviation Associationから1987年の司令官航空効率トロフィー Commandant's Aviation Efficiency Trophy for 1987の受賞者として表彰された
1990/8 イラクの クウェート侵攻後、HMH-464は8機のCH-53Eと84名の海兵隊員を提供し、1990年8月16日にペルシャ湾に初期展開した。サウジ・アラビアに到着後、同飛行隊はクウェート解放の準備を進める第1海兵師団 1st Marine Divisionへの 攻撃支援で重要な役割を果たした。“コンドルズ Condors”は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”で304回の戦闘出撃を行い、2,167,150ポンドの貨物を輸送し、1,686名の乗客を運んだ。同飛行隊は1991年5月に南西アジアから帰還し、間もなく15,000時間の無事故飛行を達成した。1993年2月、HMH-464は第2海兵航空団司令官トロフィー 2nd Marine Aircraft Wing Commanding General's Trophyを授与され、同飛行隊は航空団で最も優秀であると認められた。10月、“コンドルズ”は無事故飛行時間20,000時間のマイルストーンを超えた。 1994年3月、“コンドルズ”はハイチ危機のための船積み作業を支援し、部隊が時間通りに展開できるようにした。1994年7月末、HMH-464はハイチでの継続中の有事作戦のため、4機の航空機と50名の要員をHMM-264に派遣した。カリブ海特別海兵航空地上任務部隊(Special Marine Air Ground Task Force Caribbean: SPMAGTF CARRIB)の一員として参加したCH-53E分遣隊は、“民主主義擁護作戦 Operation Uphold Democracy”と“民主化支援作戦 Operation Support Democracy”の準備のため、数多くの演習に参加した
1995/6 1995年6月、第24海兵遠征ユニット(24th Marine Expeditionary Unit: 24th MEU)のHMM-263(Rein)に所属するHMH-464の分遣隊は、戦乱のボスニアで墜落した米空軍パイロットのスコット・オグレディ大尉 Captain Scott O'Gradyを救出する戦術的航空機・人員回収(Tactical Recovery of Aircraft and Personnel: TRAP)作戦を成功させた。1995年、HMH-464は東海岸の3つの海兵遠征ユニットの分遣隊を同時に支援したが、これは海兵重ヘリコプター飛行隊としては初めてのことであった。1999年、第26海兵遠征ユニット(26th Marine Expeditionary Unit: 26th MEU)に配属されたHMH-464分遣隊は、“アライド・フォース作戦 Operation Allied Force”中の45日間のTRAP待機、“シャイニング・ホープ作戦 Operation Shining Hope”を支援するアルバニアでの非戦闘員避難活動、“ジョイント・ガーディアン作戦 Operation Joint Guardian”を支援するマケドニアとコソヴォでの平和執行活動、“アヴィッド・レスポンス作戦 Operation Avid Response”を支援するトルコでの人道支援に参加した。“コンドルズ”は3月、プエルト・リコのヴィエケス Viequesで司法省(Department of Justice: DOJ)の活動を支援するため、派遣準備命令を受けた。今回はSPMAGTFヴィエケス SPMAGTF Viequesとともに強襲揚陸艦(多目的)バターン Bataan(LHD-5)に乗り込み、“イースタン・アクセス作戦 Operation Eastern Access”を支援した。CH-53Eは1,565名の乗客と249,300ポンドの貨物を輸送した。同飛行隊は6月に海軍作戦部長(Chief of Naval Operations: CNO)安全賞を受賞し、7月には海兵隊航空協会から“年間最優秀HMH飛行隊 HMH Squadron of the Year”も授与された
2001/9 2001年9月11日の同時多発テロののち、HMH-464の4機分遣隊は26th MEUのACEとしてHMM-365(Rein)の“ブルー・ナイツ Blue Knights”とともに展開した。MEUはパキスタン沖に転進し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援する戦闘活動を開始した。HMM-365(Rein)はHMM-163(Rein)と連携し、(6機の)CH-53Eを発進させ、約800海里(1,500km)内陸にあるキャンプ・ライノ Camp Rhinoを確保した。キャンプ・ライノを確保したのち、カンダハール空港 Kandahar Airportはアフガニスタンの奥地に確保された。2003年1月、“コンドルズ”はHMH-461、HMT-302、MAWTS-1の海兵隊員とともに、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するタラワ任務部隊 Aviation Combat Element of Task Force Tarawaと第2海兵遠征旅団 2nd Marine Expeditionary Brigadeの航空戦闘部隊である第29海兵航空群 Marine Aircraft Group 29の一員として、(16機の)CH-53Eと飛行隊全体を揚陸艦でクウェートに派遣した。作戦期間中、HMH-464は2,300時間以上飛行し、4,695,950ポンドの貨物と6,751名の乗客を輸送し、3ヶ月間で1,086回の戦闘出撃を行った。さらに、同飛行隊はイラク南部のジャリバ Jalibah前方作戦基地(Forward Operating Base: FOB)で活動し、イラクのアル・クート Al Kutにある前方武装補給地点(Forward Arming and Refueling Point: FARP)を支援した。実施された任務には、突撃支援(人員と貨物の移動)、米海兵隊の部隊偵察チームの秘密裡の投入と回収などがあった。強襲揚陸艦(多目的)キアサージ Kearsarge(LHD-3)で帰還したHMH-464は、予定されていたマルタの解放港を迂回し、アフリカのリベリアとシエラ・レオネに向かい、非戦闘員の避難作戦(Non-Combatant Evacuation Operations: NEO)とリベリア大使館の増援作戦(“シャイニング・エクスプレス作戦 Operation Shining Express”)を実施する任務に就いた。この不測の事態から撤退したのち、飛行隊は2003年6月下旬に帰国した
2003/11 2003年11月、同飛行隊は、アフリカの角の連合統合任務部隊(Combined Joint Task Force Horn of Africa: CJTF-HOA)を支援するため、ニュー・リヴァー海兵航空基地からジブチのキャンプ・ルモニエ Camp Lemonnierに派遣された4機の分遣隊を支援するため、78名の海兵隊員からなる分遣隊を派遣する任務を与えられた。分遣隊は2004年5月までの6ヶ月間、ジブチに派遣された。“コンドルズ”は、2003年海軍作戦部長(CNO)安全賞 2003 Chief of Naval Operations (CNO) Safety Award、2004年海軍省(DON)現役海兵隊飛行隊安全優秀賞 2004 Department of the Navy (DON) Safety Excellence Award、2004年海兵隊航空協会(MCAA)司令官トロフィー 2004 Marine Corps Aviation Association (MCAA) Commandant's Trophyを受賞し、海兵隊飛行隊による全任命任務の最高の総合的パフォーマンスと達成を評価された。“コンドルズ”は1年後、2005年5月から10月までCJTF-HOAを支援するアルファ分遣隊とともにキャンプ・ルモニエに戻った
2005/8 2005年8月29日、HMH-464(-)はハリケーン“カトリーナ Katrina”の救援活動を支援するため、18時間前の通告で派遣を命じられた。HMH-464は、HMH-461(-)(Rein)、HMM-365(-)、HMH-772(-)の海兵隊員とともに、カトリーナ統合任務部隊 Joint Task Force Katrinaを支援した。HMH-464(-)はペンサコラ海軍航空基地 NAS Pensacolaに自己展開し、翌日からニュー・オーリンズとミシシッピで救援活動を開始した。ペンサコラ海軍航空基地で活動後、HMH-464(-)はキーズラー空軍基地 Keesler Air Force Baseに移動し、そこから救援活動を続けた。2005年9月20日、HMH-464(-)はキーズラー空軍基地を出発し、ニュー・リヴァー海兵航空基地に帰還した。“コンドルズ”は162飛行時間、452名の避難民、1,182名の乗客、412,850ポンド(187,270kg)の貨物を輸送し、ハリケーン“カトリーナ”の救援活動を支援した。HMH-464ブラヴォー分遣隊は2005年10月、キャンプ・ルモニエのアルファ分遣隊と交代した。2006年2月17日、ブラヴォー分遣隊の2機のCH-53Eヘリコプターがジブチ北東沖で墜落し、分遣隊の海兵隊員8名(パイロット2名、乗員6名)と、衛星通信を提供するために搭乗していた空軍の航空兵2名が死亡するという悲劇が発生した。海兵隊パイロット2名は負傷しながらも墜落を免れた。ブラヴォー分遣隊はHMH-461に引き継がれた
2007/4 コンドルズは2007年4月から9月までアルファ分遣隊とともにCJTF-HOAを支援するためキャンプ・ルモニエに戻り、2007年9月から2008年1月までブラヴォー分遣隊に引き継がれた。2008年8月、アルファ分遣隊はCJTF-HOAを支援するためキャンプ・ルモニエに戻り、2009年1月にニュー・リヴァー海兵航空基地に戻る。2008年8月から12月まで、“コンドルズ”は人道支援ミッション継続のため、キアサージにCH-53Eを6機配備。フラッグは南軍の作戦地域に展開した。4ヶ月の派遣期間中、飛行隊はニカラグア、コロンビア、ハイチ、ドミニカ共和国、トリニダード・トバゴ、ガイアナへの支援を行った
2016/1 2016年1月、“コンドルズ”はコールド・レスポンス16 Cold Response 16を支援するため、ノルウェーに(6機の)CH-53Eを派遣した
同ユニットの栄誉は以下の通り
大統領部隊賞 Presidential Unit Citation
海軍部隊表彰 Navy Unit Commendation
功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendation
アメリカ・キャンペーン・メダル American Campaign Medal
第二次世界大戦勝利勲章 World War II Victory Medal
国防功労章(星1個付き) National Defense Service Medal w/ 1 service star
南西アジア従軍章(星3つ) Southwest Asia Service Medal w/ 3 service stars
グローバル・ウォー・オン・テロリズム遠征メダル Global War on Terrorism Expeditionary Medal
世界テロ戦争従軍章 Global War on Terrorism Service Medal

↑Condor Extract CR16. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 24/04/14