1044
1044型貨物船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


総トン数(1919年時):2,153t(1920年登録では2,140tに変更) 積貨重量トン数:3,400t 全長:76.32m 幅:13.28m 深さ:6.12m 主缶:2基 主機/軸数:triple-expansion機関1基/1軸 出力:1,250軸馬力 速力:10.0kt 乗員:35名
船名 NAME 造船所
記号
合衆国
船舶院
記号
建造所 引き渡された日 備考
コクィーナ Coquina 100 1305 マニトワック・シップビルディング社 1919/4 ◎1918 起工
◎1918/11/30 進水
◎1925 Pillsbury-Curtis Co. に売却
◎1931 Los Angeles Steamship Co. に売却
◎1934 California Steamship Co. に売却
◎1935 Matson Navigation Co. に売却
◎1940 Oliver J. Olson & Co. に売却されCynthia Olsonと改名(12
◎1941/8 陸軍輸送科がチャーター
コラレス Corrales 97 1311 マニトワック・シップビルディング社 1918/11 ◎1918晩夏 起工
◎1918/11 進水
◎1918/11 引き渡される(オフィシャル・ナンバー217197)
◎1925 Pillsbury and Curtisに売却
◎1934 California Steamship Companyに売却
◎1935 Matson Navigation Companyに売却
◎1940 Olson Brothersに売却されBarbara Olsonと改名
◎1941年12月7日の真珠湾攻撃後、アメリカ合衆国は第二次大戦に参戦。日本海軍はカリフォルニア沿岸の船舶を攻撃するために潜水艦を派遣した。1941年12月24日午前6時25分、Barbara Olsonは木材を積載し、サン・ディエゴに向けて航行していた。ロサンゼルス港の入り口付近で、日本海軍伊号第十九潜水艦がBarbara Olsonに向けて魚雷を発射した。魚雷は船の下を通過し、そのまま進み、通過後、船から100フィート(30.48m)の地点で爆発した。爆発により煙と炎が上がり、魚雷の破片がBarbara Olsonの甲板に落下した。この魚雷の爆発は、近くを航行していたアメリカ海軍の沿岸哨戒ヨット・アメジスト Amethyst(PYc-3)によって目撃された。母港から遠く離れた伊号第十九潜水艦は魚雷を温存するよう命令を受けていたため、Barbara Olsonに1発のみ発射した。アメジストは伊号第十九潜水艦を捜索したが、発見することはできなかった
◎同日遅く、伊号第十九潜水艦はロサンゼルス、サン・ペドロのポイント・ファーミン灯台沖にてMcCormick Steamship Companyの5,695tの木材運搬船Absaroka(元1013型貨物船(USSBハル84))に魚雷を命中させ、衝突させた。Absarokaは曳航され、フォート・マッカーサー Fort MacArthurに岸に乗り上げし、沈没を免れた。 タンカーEmidio(元1047型タンカー・ハマック Hammac(USSBハル1681))とMontebelloは、戦争初期にアメリカ西海岸沖で攻撃を受け沈没した

(↑日本海軍巡潜乙型(伊号一五型潜水艦))
◎1942/7/25 ハワイ準州への物資輸送のため、陸軍輸送隊がチャーター
◎1942年1月22日、砲艦タニー Taney(WPG-37)が陸軍輸送船バーバラ・オルソンの護衛に任命された。両船はホノルルを出航し、1942年1月28日にカントン島に到着した。両船の乗組員はバーバラ・オルソンの物資の荷降ろしに協力した。タニーは1942年2月17日までバーバラ・オルソンの沖合護衛を続けた。両船はアメリカ植民地からの撤退のためエンダーベリー島 Enderbury Islandへ向かった。そののち、ジャーヴィス島 Jarvis Islandへ向かった。続いてPalmyra Atollへ向かい、1942年2月12日に到着。両船は1942年2月15日までそこに留まり、そののちハワイ諸島へ戻り、1942年3月5日にホノルルに到着した
◎1946年1月14日、バーバラ・オルソンの陸軍任務は終了し、Oliver J. Olson & Companyに返還された。1957年、ペルーのEl CallaoのIndustrias Alimenticias Huacho, S.A. に売却されRio Pastazaと改名された。1964年10月8日、乗組員は沈没を防ぐため、ペルーのPimentelの北4マイル(6.43km)で座礁させた。船は既に漏れ始めており、乗組員は漏れを止めることができなかった。船は完全な全損と判断された


Update 26/02/14