VMAQ
海兵戦術電子戦飛行隊 Marine Tactical Electronics Warfare Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第2海兵戦術電子戦飛行隊(Marine Tactical Electronic Warfare Squadron 2: VMAQ-2)は、1952年から2019年まで在籍したアメリカ海兵隊の電子戦飛行隊。EA-6Bに搭乗する最後の飛行隊である。その使命は、遠征、合同、または統合作戦の間、昼夜を問わず、あらゆる天候の下で空中電子戦を行うことにより、海兵航空地上任務部隊(Marine Air-Ground Task Force: MAGTF)司令官を支援することであった。飛行隊はノース・カロライナ州チェリー・ポイント海兵隊航空基地 MCAS Cherry Pointを拠点とし、第14海兵航空群(Marine Aircraft Group 14: MAG-14)と第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下にあった

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
MCAS Cherry Point 1952/9/15
航空機の割り当て 初受領日
AD-5
EF-10
RF-8
RF-4B
EA-6A 1965/11下旬
EA-6B
EA-6B ICAP 1977
日付 主な出来事
1952/9 VMAQ-2の前身飛行隊はAD-5EF-10RF-8RF-4BEA-6Aなど、さまざまな電子戦機を使用していた。VMC-2は、海兵隊航空における最初の複合飛行隊(航空写真偵察と電子戦能力を併せ持つ)であった。1952年9月15日にチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointで、かつての航空本部飛行隊の空中早期警戒・電子対策部門から発展して就役した。1955年12月1日、旧第2海兵写真飛行隊(Marine Photographic Squadron 2: VMJ-2)が閉隊し、VMC-2に合流したのち、飛行隊はVMCJ-2と再指定され、第2海兵複合妨害飛行隊(Marine Composite Jamming Squadron: VMCJ-2)となった。1962年、VMCJ-2はキューバ危機の際に電子的および写真的な情報を提供し、ケネディ大統領 President Kennedyがキューバからソヴィエトの軍備を撤去することにつながる重要な決定を下すことを可能にした。1964年、VMCJ-2は史上最大の水陸両用訓練である“スティール・パイク作戦 Operation Steel Pike”に参加した。部隊はノース・カロライナ州モアヘッド・シティ Morehead Cityからスペインのロタ海軍基地 Naval Base Rotaに出撃し、演習中に写真と電子戦の両方の任務を飛行した
1965 キューバ危機の終結から3年も経たないうちに、同じVMCJ-2の搭乗員の一部がVMCJ-1と共にベトナムに派遣され、EF-10Bが北ヴェトナムの目標に対する空爆にECM支援を提供し始めたので、キューバ戦で学んだ教訓を生かした。1966年の春から、飛行隊は海兵隊員をヴェトナムのVMCJ-1に13ヶ月間派遣するようになった。1965年11月下旬、VMCJ-2は最初のEA-6Aエレクトリック・イントルーダーを受領した。急速にエスカレートする北ヴェトナムの防空で、この新しいEW航空機は、まだ時代遅れのEF-10Bスカイナイトを飛行していたVMCJ-1が待ち望んでいた。しかし、新しい航空機と一緒に提供された最初のEWシステムは、いくつかの大規模な修正なしでは任務に適さないことが判明した。緊急性を考慮し、VMCJ-2の現場で請負業者チームによる改造が決定された。この取り組みが成功したのは、VMCJ-2の職員が献身的にサポートしたおかげである。この同じ時期に飛行隊は最初のRF-4Bを受領し、数ヶ月の間飛行隊は4つの異なるタイプの航空機に搭乗していた。1966年10月、VMCJ-2はVMCJ-1の交代要員として、完全な整備能力を備えた6機のEA-6Aをヴェトナムのダナン Danangに送った。同飛行隊はヴェトナムでVMCJ-1に交代要員と更新機を提供し続けることになる
1971 1971年、飛行隊は最初のEA-6A分遣隊を攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)に配備し、攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)攻撃航空母艦アメリカ America(CVA-66)と10ヶ月に及ぶ地中海クルーズを行った
1972/4 1972年4月13日、飛行隊は地中海のサラトガに配備される予定だったEA-6A分遣隊をWESTPACに転用し、キュービ・ポイント海軍航空基地 NAS Cubi PointのVMCJ-1に合流させた。VMCJ-2分遣隊はVMCJ-1と連携して運用され、1973年初頭に米軍捕虜の解放で終了した“ラインバッカー作戦 Operation Linebacker”の下で北ヴェトナムに対する攻撃を支援した
1975 1975年の再指定後、VMAQ-2はEA-6Aエレクトリック・イントルーダー機[分遣隊アルファ Alpha、ブラヴォー Bravo、チャーリー Charlie]とEA-6Bプラウラー機[分遣隊エックスレイ Xray、ヤンキー Yankee、ズールー Zulu]の分遣隊を継続的に配備し、西太平洋の海兵隊を支援し、汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)汎用航空母艦アメリカ(CV-66)汎用航空母艦サラトガ(CV-60)への長期配備を含む空母の艦隊司令官を支援した
1977 1977年、飛行隊は能力向上(Improved Capability: ICAP)EWスイートを搭載したEA-6Bに移行した
1986 飛行隊の分遣隊が“エル・ドラド・キャニオン作戦 Operation El Dorado Canyon”の一環としてリビアに対する米軍の空襲に参加した
1990/8 1990年8月、VMAQ-2は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”を支援するため、ヤンキー分遣隊 Detachment Yankeeとズールー分遣隊 Detachment Zuluをバーレーン南部のシャイフ・イサ空軍基地 Shaikh Isa Air Base(ICAO:OBBS)に派遣し、6週間で500回近い戦闘出撃を行った。X-Ray分遣隊 Detachment X-Rayはすでに岩国海兵航空基地 MCAS Iwakuni(第1海兵航空団 1st Marine Aircraft Wing)に配備され、6ヶ月間のウェスト・パック定期クルーズに就いていたが、結局、予定の2倍以上となる合計410日間、平時における海兵航空史上最長の連続配備を続けることになった
1992/7 1992年7月1日、海兵航空最大の戦術飛行隊であるVMAQ-2は3つの飛行隊に再編された:VMAQ-1“バンシーズ Banshees”、VMAQ-2“プレイボーイズ Playboys”、VMAQ-3“ムーンドッグズ Moondogs”である。1993年、外部からの圧力により、海兵隊は飛行隊の名前とロゴを“プレイボーイズ”からもっと政治的に正しいものに変更するよう指示せざるを得なくなった。いくつかの案が却下されたのち、飛行隊は新しい名前として“パンサーズ Panthers”を選び、ナショナル・フットボール・リーグの“カロライナ・パンサーズ Carolina Panthers”のロゴを(許可を得て)使い始めた。VMAQ-2はのちに“パンサーズ”から現在の“デス・ジェスターズ Death Jesters”に変更された。名前が変わっても、飛行隊は5機の機体に“プレイボーイ”バニーのパッチやペイントを使い続けている。CYのテイル・コードでさえ、ウサギの頭の形をしたものがある(当時のVMAQ-2のMMCOであったロス・メグラザリー大佐 Captain Ross Meglatheryがデザインし、実装した)
1996/3 VMAQ-2の次の任務は1996年3月、“ディサイシヴ・エンデヴァー作戦 Operation Decisive Endeavor”を支援するためイタリアのアヴィアーノ空軍基地 Aviano Air Basに派遣された。この作戦はVMAQ-2にボスニア・ヘルツェゴヴィナ上空の任務を課した。具体的には、VMAQ-2のプラウラーは、これら2つの作戦地域の武器封じ込めサイト上空で偵察飛行を行う英国のハリアーに、敵防空(Suppression of Enemy Air Defenses: SEAD)制圧支援を提供した
1997 1997年、VMAQ-2はふたたびアヴィアーノ基地に配備された。しかし、この時は“デリバレート・ガード作戦 Operation Deliberate Guard”の支援であった。VMAQ-2はボスニアの選挙を取材するためにボスニア上空を飛行する任務を負った
1998/2 1998年2月3日、VMAQ-2のコールサイン“イージー0-1 Easy 0-1”の米海兵隊EA-6B(Bu.No. 163045)がイタリアのカヴァレーゼ Cavaleseでゴンドラを支えるケーブルに激突。ケーブルは切断され、機内にいた20名が80メートル以上落下して死亡した。同機は翼と尾翼に損傷を受けたが、基地に帰還することができた。同飛行隊にとって、15年近くにわたる世界各地での運航で60,000時間を超える飛行時間の中で初めての大事故であった
1999/2 1999年2月、VMAQ-1、VMAQ-2、VMAQ-3、VMAQ-4は、“ノーブル・アンヴィル作戦 Operation Noble Anvil”とそれに続くユーゴスラヴィア連邦共和国に対する戦闘作戦を支援するため、イタリアのアヴィアーノ基地にふたたび展開する命令を受けた。コソヴォ危機を解決するための外交的試みが失敗したのち、“アライド・フォース作戦 Operation Allied Force”が開始された。VMAQ-2は昼夜を問わず出撃し、米国とNATOのミッションに妨害とHARMの支援を提供した。VMAQ-2はまた、武装偵察任務、昼夜を問わない戦場での航空阻止攻撃、墜落した同盟国航空機搭乗員の戦闘捜索救助活動の支援も行った。“アライド・フォース作戦”が終了したとき、VMAQ-2は2151.5戦闘時間、464戦闘出撃を行い、ユーゴスラヴィア連邦共和国に対して57発の高速対放射線ミサイル(High speed Anti-Radiation Missile: HARM)を発射した

(↑AGM-88HARM)
2003/2 2003年2月、VMAQ-2はサウジ・アラビアのプリンス・スルタン空軍基地 Prince Sultan Air Baseに配備され、当初は“不朽の自由作戦 Operation ENDURING FREEDOM”を、そののち“イラクの自由作戦 Operation IRAQI FREEDOM”を支援した。VMAQ-2はイラク侵攻作戦中、60日足らずで1,000時間以上の戦闘時間を記録した
2004/7 VMAQ-2は2004年7月から2005年1月までイラクのタリル空軍基地 Tallil Air Baseに配備され、イラクの地で活動した最初のプラウラー飛行隊となった。同飛行隊は同期間中、2,000時間を超える無災害の戦闘時間を記録し、10,000時間の無災害飛行時間を達成した。VMAQ-2はそののち、海兵隊航空協会2005年度最優秀プラウラー飛行隊 Marine Corps Aviation Association 2005 Prowler squadron of the yearに選ばれた
2006/1 2006年1月、VMAQ-2は“イラクの自由05-07作戦 Operation IRAQI FREEDOM 05-07”を支援するため、イラクのアル・アサド空軍基地に派遣された。VMAQ-2は691戦闘任務、3,286.7戦闘飛行時間を飛行し、975統合戦術航空要請(Joint Tactical Air Requests: JTARS)を支援した。この厳しい運用テンポの結果、機体の稼働率は通常の4倍となった
2007/7 2007年7月、VMAQ-2は“イラクの自由06-08作戦 Operation IRAQI FREEDOM 06-08”を支援するため、イラクのアル・アサドに帰還した。この派遣期間中、VMAQ-2は連合軍の地上部隊を支援しながら、821の戦闘任務、合計4,423.0戦闘飛行時間を飛行した。この持続的なテンポは、プラウラー飛行隊としてだけでなく、海兵隊のどのタイプ/モデル/シリーズでも最高の稼働率につながった
2010/5 2010年5月19日、キャンプ・マクール Camp McCoolに配備されたVMAQ-2海兵隊はタリバンの攻撃を撃退しなければならず、銃撃戦に参加した海兵隊のうち2名が負傷した
2018/11 2018年11月、VMAQ-2は最終配備から帰還し、米海兵隊プラウラー飛行隊の最終配備となった。 同飛行隊は2019年3月8日に閉隊した
VMAQ-2の受賞歴には、キューバ・ミサイル危機と対イラク行動で2つの青銅星 Bronze Starを持つ海軍部隊表彰ストリーマー Navy Unit Commendation Streamer、2つの青銅星を持つ功績部隊表彰ストリーマー Meritorious Unit Commendation Streamer、2つの青銅星を持つ海兵隊遠征ストリーマー Marine Corps Expeditionary Streamer、2つの青銅星を持つ国防奉仕ストリーマー National Defense Service Streamer、キューバとドミニカ共和国勤務で1つの青銅星を持つ軍隊遠征ストリーマー Armed Forces Expeditionary Streamer、2つの青銅星を持つ南西アジア奉仕ストリーマー Southwest Asia Service Streamerなどがある

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 23/10/22